ジャパン・スタンダード
神仏習合はグローバル・スタンダードでもある。
グレイトシステムも、神仏習合である。
八百万の神とブラフマンが渾然と一体化している。
その象徴が、九州の英彦山である。
だから、英彦山を世界遺産に指定しても変ではない。
神仏習合のコンセプトを説明すれば、英彦山は世界遺産になる。
神仏習合
霊山・英彦山
英彦山には、天照大神の息子である天之忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)が主神として、祖父母神のいざなみのみこと、いざなぎのみことが祀られています。
また、釈迦、弥陀、観音を三仏として、神仏渾然一体化して祭祀してあります。
たしか、英彦山の本殿は国宝になっているはずです。
天照大神の息子である天之忍穂日尊がアマテラスの弟?スサノオの元に行って、大国主になったはず・・・
つまり、
出雲大社が国つ神
伊勢神宮が天つ神
です・・・
そして、おそらく、天之忍穂耳尊の子、つまり、アマテラスの孫が天孫ニニギ・・・
ニニギこそが、天皇家に繋がるミコトです・・・
4/16/2010
法華経と華厳経
法華経は、救済の教え? => 観世音菩薩、ボディサトバ
説法の対象は、菩薩をはじめとするあらゆる境涯に渡る。末法愚人を導く法として上行菩薩等の地湧(じゆ)の菩薩たちに対する末法弘教の付嘱、観世音菩薩等のはたらきによる法華経信仰者への守護と莫大な現世利益などを説く。
華厳経は、修行の教え? => 廬舎那仏、如来、アミダーバ
智顗によると、この経典は釈迦の悟りの内容を示しているといい、「ヴァイローチャナ・ブッダ」という仏が本尊として示されている。「ヴァイローチャナ・ブッダ」を、「太陽の輝きの仏」と訳し、「毘盧舎那仏」と音写される。
華厳経の中には、如来蔵思想と似た発想がでてくる。
陽光である毘盧舎那仏の智彗の光は、すべての衆生を照らして衆生は光に満ち、同時に毘盧舎那仏の宇宙は衆生で満たされている。これを「一即一切・一切即一」とあらわし、「あらゆるものは無縁の関係性(縁)によって成り立っている」ことで、これを法界縁起と呼ぶ。
---Wiki
法華経(ほけきょう、ほっけきょうとも)は、大乗仏教の経典「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ(saddharmapuNDariika-suutra、सद्धर्मपुण्डरीक सूत्र)」(「正しい教えである白い蓮の花」の意)の漢訳での総称。経の字をはずすと「法華」になるが、これは一般に「ほっけ」と発音する。
それぞれの意味はsad=「正しい」「不思議な」「優れた」など、dharma=「教え」「真理」、puNDariika=「因果倶時・清浄な白蓮華」、suutra=「仏の説いた経典」。
この経典に対する漢訳は十六種類が行われたとされるが、完訳が現存するのは『正法華経』(竺法護訳、2世紀)、『妙法蓮華経』(鳩摩羅什訳、5世紀)、『添品妙法蓮華経』(闍那崛多・達磨笈多共訳、7世紀)の三種である。漢訳仏典圏では、鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』が、「最も優れた翻訳」として、天台教学や多くの宗派の信仰上の所依として広く用いられており、「法華経」は「妙法蓮華経」の略称として用いられる場合もある。
なお、鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』観世音菩薩普門品第二十五は観音経として普及している。
概説
法華経は28品の章節で構成されている。現在、広く依用されている智顗(天台大師)の教説によると、前半14品を迹門(しゃくもん)、後半14品を本門(ほんもん)と分科する。迹門とは、出世した仏が衆生を化導するために本地より迹(あと)を垂れたとする部分であり、本門とは釈尊が菩提樹下ではなく久遠の昔にすでに仏と成っていたという本地を明かした部分である。迹門を水中に映る月とし、本門を天に浮かぶ月に譬えている。後世の天台宗や法華宗一致派は両門を対等に重んじ、法華宗勝劣派は法華経の本門を特別に重んじ、本門を勝、迹門を劣とするなど相違はあるが、この教説を依用する宗派は多い。
また、三分(さんぶん)の観点から法華経を分類すると、大きく分けて(一経三段)、序品を序分、方便品から分別品の前半までを正宗分、分別品から勧発品までを流通分と分科する。また細かく分けると(二経六段)、前半の迹・本の二門にもにもそれぞれ序・正宗・流通の三分があるとする。
迹門
前半部を迹門(しゃくもん)と呼び、般若経で説かれる大乗を主題に、二乗作仏(二乗も成仏が可能であるということ)を説くが、二乗は衆生から供養を受ける生活に余裕のある立場であり、また裕福な菩薩が諸々の眷属を連れて仏の前の参詣する様子も経典に説かれており、説法を受けるそれぞれの立場が、仏を中心とした法華経そのものを荘厳に飾り立てる役割を担っている。
さらに提婆達多の未来成仏(悪人成仏)等、”一切の衆生が、いつかは必ず「仏」に成り得る”という平等主義の教えを当時の価値観なりに示し、経の正しさを証明する多宝如来が出現する宝塔出現、虚空会、二仏並座などの演出によってこれを強調している。そして、この教えを信じ弘める行者は必ず世間から迫害されると予言するキリスト教やユダヤ教等セム系一神教にも共通する「受難劇」の視点も見られる。
本門
後半部を本門(ほんもん)と呼び、久遠実成(くおんじつじょう。釈迦牟尼仏は今生で初めて悟りを得たのではなく、実は久遠の五百塵点劫の過去世において既に成仏していた存在である、という主張)の宣言が中心テーマとなる。これは、後に本仏論問題を惹起する。
本門ではすなわちここに至って仏とはもはや歴史上の釈迦一個人のことではない。ひとたび法華経に縁を結んだひとつの命は流転苦難を経ながらも、やがて信の道に入り、自己の無限の可能性を開いてゆく。その生のありかたそのものを指して仏であると説く。したがってその寿命は、見かけの生死を超えた、無限の未来へと続いていく久遠のものとして理解される。そしてこの世(娑婆世界)は久遠の寿命を持つ仏が常住して永遠に衆生を救済へと導き続けている場所である。それにより”一切の衆生が、いつかは必ず仏に成り得る”という教えも、単なる理屈や理想ではなく、確かな保証を伴った事実であると説く。そして仏とは久遠の寿命を持つ存在である、というこの奥義を聞いた者は、一念信解・初随喜するだけでも大功徳を得ると説かれる。
説法の対象は、菩薩をはじめとするあらゆる境涯に渡る。末法愚人を導く法として上行菩薩等の地湧(じゆ)の菩薩たちに対する末法弘教の付嘱、観世音菩薩等のはたらきによる法華経信仰者への守護と莫大な現世利益などを説く。
---Wiki
『華厳経』(けごんぎょう)、正式には『大方広仏華厳経』(buddhaavataMsaka-naama-mahaa-vaipulya-suutra、महावैपुल्यबुद्धावतंसकसूत्र)は、大乗仏教の経典のひとつで、大方広仏、つまり時間も空間も超越した絶対的な存在としての仏という存在について説いた経典である。華厳とは別名雑華ともいい、雑華によって仏を荘厳することを意味する。原義は「花で飾られた広大な教え」という意味になる。
沿革 [編集]
華厳経は、インドで伝えられてきた様々な経典が、3世紀頃に中央アジア(西域)でまとめられたものである。 華厳経の全体のサンスクリット語原典は未発見であるが、入法界品・十地品などは独立のサンスクリット経典が存在する。また、チベット語訳も存在する。
本経には、
東晋の仏駄跋陀羅(359年 - 429年)訳の60巻本(「六十華厳経」、旧訳)
唐の実叉難陀(652年 - 710年)訳の80巻本(「八十華厳経」、新訳)
とが通行している。 また、唐の般若による「入法界品」のみの40巻本(「四十華厳経」)の訳も行われている。
中国では華厳経に依拠して地論宗・華厳宗が生まれ、特に華厳宗は雄大な重重無尽の縁起を中心とする独特の思想体系を築き、日本仏教にも大きな影響を与えた。
日本に中国の「華厳宗」を伝えたのは新羅の審祥で、東大寺で「探玄記」による「六十華厳」の講義を3年に及んで行ない、それ以来東大寺は華厳宗の本山ということになった。
内容 [編集]
智顗によると、この経典は釈迦の悟りの内容を示しているといい、「ヴァイローチャナ・ブッダ」という仏が本尊として示されている。「ヴァイローチャナ・ブッダ」を、「太陽の輝きの仏」と訳し、「毘盧舎那仏」と音写される。
華厳経の中には、如来蔵思想と似た発想がでてくる。
陽光である毘盧舎那仏の智彗の光は、すべての衆生を照らして衆生は光に満ち、同時に毘盧舎那仏の宇宙は衆生で満たされている。これを「一即一切・一切即一」とあらわし、「あらゆるものは無縁の関係性(縁)によって成り立っている」ことで、これを法界縁起と呼ぶ。
「六十華厳」の中で特に重要なのは、最も古層に属する「十地品」と「入法界品」という章だといわれている。
「十地品」には、菩薩が踏み行なうべき十段階の修行が示されていて、そのうち六番目までは自利の修行が説かれ、七番目から十番目までが利他行が説かれている。
「入法界品」には、善財童子(ぜんざいどうじ)という少年が、人生を知り尽くした53人の人々を訪ねて、悟りへの道を追究する物語が述べられている。
隋の智顗は五時八教の教相判釈で、華厳経を釈迦が成道後まもなく悟りの内容を分かりやすくせずにそのまま説いた経典であらけずりの教えであるとした。 唐の法蔵は「華厳五教章」のなかで五教十宗判の教相判釈を行い、華厳の教えを最高としている。
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神仏習合はグローバル・スタンダードでもある。
グレイトシステムも、神仏習合である。
八百万の神とブラフマンが渾然と一体化している。
その象徴が、九州の英彦山である。
だから、英彦山を世界遺産に指定しても変ではない。
神仏習合のコンセプトを説明すれば、英彦山は世界遺産になる。
神仏習合
霊山・英彦山
英彦山には、天照大神の息子である天之忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)が主神として、祖父母神のいざなみのみこと、いざなぎのみことが祀られています。
また、釈迦、弥陀、観音を三仏として、神仏渾然一体化して祭祀してあります。
たしか、英彦山の本殿は国宝になっているはずです。
天照大神の息子である天之忍穂日尊がアマテラスの弟?スサノオの元に行って、大国主になったはず・・・
つまり、
出雲大社が国つ神
伊勢神宮が天つ神
です・・・
そして、おそらく、天之忍穂耳尊の子、つまり、アマテラスの孫が天孫ニニギ・・・
ニニギこそが、天皇家に繋がるミコトです・・・
4/16/2010
法華経と華厳経
法華経は、救済の教え? => 観世音菩薩、ボディサトバ
説法の対象は、菩薩をはじめとするあらゆる境涯に渡る。末法愚人を導く法として上行菩薩等の地湧(じゆ)の菩薩たちに対する末法弘教の付嘱、観世音菩薩等のはたらきによる法華経信仰者への守護と莫大な現世利益などを説く。
華厳経は、修行の教え? => 廬舎那仏、如来、アミダーバ
智顗によると、この経典は釈迦の悟りの内容を示しているといい、「ヴァイローチャナ・ブッダ」という仏が本尊として示されている。「ヴァイローチャナ・ブッダ」を、「太陽の輝きの仏」と訳し、「毘盧舎那仏」と音写される。
華厳経の中には、如来蔵思想と似た発想がでてくる。
陽光である毘盧舎那仏の智彗の光は、すべての衆生を照らして衆生は光に満ち、同時に毘盧舎那仏の宇宙は衆生で満たされている。これを「一即一切・一切即一」とあらわし、「あらゆるものは無縁の関係性(縁)によって成り立っている」ことで、これを法界縁起と呼ぶ。
---Wiki
法華経(ほけきょう、ほっけきょうとも)は、大乗仏教の経典「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ(saddharmapuNDariika-suutra、सद्धर्मपुण्डरीक सूत्र)」(「正しい教えである白い蓮の花」の意)の漢訳での総称。経の字をはずすと「法華」になるが、これは一般に「ほっけ」と発音する。
それぞれの意味はsad=「正しい」「不思議な」「優れた」など、dharma=「教え」「真理」、puNDariika=「因果倶時・清浄な白蓮華」、suutra=「仏の説いた経典」。
この経典に対する漢訳は十六種類が行われたとされるが、完訳が現存するのは『正法華経』(竺法護訳、2世紀)、『妙法蓮華経』(鳩摩羅什訳、5世紀)、『添品妙法蓮華経』(闍那崛多・達磨笈多共訳、7世紀)の三種である。漢訳仏典圏では、鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』が、「最も優れた翻訳」として、天台教学や多くの宗派の信仰上の所依として広く用いられており、「法華経」は「妙法蓮華経」の略称として用いられる場合もある。
なお、鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』観世音菩薩普門品第二十五は観音経として普及している。
概説
法華経は28品の章節で構成されている。現在、広く依用されている智顗(天台大師)の教説によると、前半14品を迹門(しゃくもん)、後半14品を本門(ほんもん)と分科する。迹門とは、出世した仏が衆生を化導するために本地より迹(あと)を垂れたとする部分であり、本門とは釈尊が菩提樹下ではなく久遠の昔にすでに仏と成っていたという本地を明かした部分である。迹門を水中に映る月とし、本門を天に浮かぶ月に譬えている。後世の天台宗や法華宗一致派は両門を対等に重んじ、法華宗勝劣派は法華経の本門を特別に重んじ、本門を勝、迹門を劣とするなど相違はあるが、この教説を依用する宗派は多い。
また、三分(さんぶん)の観点から法華経を分類すると、大きく分けて(一経三段)、序品を序分、方便品から分別品の前半までを正宗分、分別品から勧発品までを流通分と分科する。また細かく分けると(二経六段)、前半の迹・本の二門にもにもそれぞれ序・正宗・流通の三分があるとする。
迹門
前半部を迹門(しゃくもん)と呼び、般若経で説かれる大乗を主題に、二乗作仏(二乗も成仏が可能であるということ)を説くが、二乗は衆生から供養を受ける生活に余裕のある立場であり、また裕福な菩薩が諸々の眷属を連れて仏の前の参詣する様子も経典に説かれており、説法を受けるそれぞれの立場が、仏を中心とした法華経そのものを荘厳に飾り立てる役割を担っている。
さらに提婆達多の未来成仏(悪人成仏)等、”一切の衆生が、いつかは必ず「仏」に成り得る”という平等主義の教えを当時の価値観なりに示し、経の正しさを証明する多宝如来が出現する宝塔出現、虚空会、二仏並座などの演出によってこれを強調している。そして、この教えを信じ弘める行者は必ず世間から迫害されると予言するキリスト教やユダヤ教等セム系一神教にも共通する「受難劇」の視点も見られる。
本門
後半部を本門(ほんもん)と呼び、久遠実成(くおんじつじょう。釈迦牟尼仏は今生で初めて悟りを得たのではなく、実は久遠の五百塵点劫の過去世において既に成仏していた存在である、という主張)の宣言が中心テーマとなる。これは、後に本仏論問題を惹起する。
本門ではすなわちここに至って仏とはもはや歴史上の釈迦一個人のことではない。ひとたび法華経に縁を結んだひとつの命は流転苦難を経ながらも、やがて信の道に入り、自己の無限の可能性を開いてゆく。その生のありかたそのものを指して仏であると説く。したがってその寿命は、見かけの生死を超えた、無限の未来へと続いていく久遠のものとして理解される。そしてこの世(娑婆世界)は久遠の寿命を持つ仏が常住して永遠に衆生を救済へと導き続けている場所である。それにより”一切の衆生が、いつかは必ず仏に成り得る”という教えも、単なる理屈や理想ではなく、確かな保証を伴った事実であると説く。そして仏とは久遠の寿命を持つ存在である、というこの奥義を聞いた者は、一念信解・初随喜するだけでも大功徳を得ると説かれる。
説法の対象は、菩薩をはじめとするあらゆる境涯に渡る。末法愚人を導く法として上行菩薩等の地湧(じゆ)の菩薩たちに対する末法弘教の付嘱、観世音菩薩等のはたらきによる法華経信仰者への守護と莫大な現世利益などを説く。
---Wiki
『華厳経』(けごんぎょう)、正式には『大方広仏華厳経』(buddhaavataMsaka-naama-mahaa-vaipulya-suutra、महावैपुल्यबुद्धावतंसकसूत्र)は、大乗仏教の経典のひとつで、大方広仏、つまり時間も空間も超越した絶対的な存在としての仏という存在について説いた経典である。華厳とは別名雑華ともいい、雑華によって仏を荘厳することを意味する。原義は「花で飾られた広大な教え」という意味になる。
沿革 [編集]
華厳経は、インドで伝えられてきた様々な経典が、3世紀頃に中央アジア(西域)でまとめられたものである。 華厳経の全体のサンスクリット語原典は未発見であるが、入法界品・十地品などは独立のサンスクリット経典が存在する。また、チベット語訳も存在する。
本経には、
東晋の仏駄跋陀羅(359年 - 429年)訳の60巻本(「六十華厳経」、旧訳)
唐の実叉難陀(652年 - 710年)訳の80巻本(「八十華厳経」、新訳)
とが通行している。 また、唐の般若による「入法界品」のみの40巻本(「四十華厳経」)の訳も行われている。
中国では華厳経に依拠して地論宗・華厳宗が生まれ、特に華厳宗は雄大な重重無尽の縁起を中心とする独特の思想体系を築き、日本仏教にも大きな影響を与えた。
日本に中国の「華厳宗」を伝えたのは新羅の審祥で、東大寺で「探玄記」による「六十華厳」の講義を3年に及んで行ない、それ以来東大寺は華厳宗の本山ということになった。
内容 [編集]
智顗によると、この経典は釈迦の悟りの内容を示しているといい、「ヴァイローチャナ・ブッダ」という仏が本尊として示されている。「ヴァイローチャナ・ブッダ」を、「太陽の輝きの仏」と訳し、「毘盧舎那仏」と音写される。
華厳経の中には、如来蔵思想と似た発想がでてくる。
陽光である毘盧舎那仏の智彗の光は、すべての衆生を照らして衆生は光に満ち、同時に毘盧舎那仏の宇宙は衆生で満たされている。これを「一即一切・一切即一」とあらわし、「あらゆるものは無縁の関係性(縁)によって成り立っている」ことで、これを法界縁起と呼ぶ。
「六十華厳」の中で特に重要なのは、最も古層に属する「十地品」と「入法界品」という章だといわれている。
「十地品」には、菩薩が踏み行なうべき十段階の修行が示されていて、そのうち六番目までは自利の修行が説かれ、七番目から十番目までが利他行が説かれている。
「入法界品」には、善財童子(ぜんざいどうじ)という少年が、人生を知り尽くした53人の人々を訪ねて、悟りへの道を追究する物語が述べられている。
隋の智顗は五時八教の教相判釈で、華厳経を釈迦が成道後まもなく悟りの内容を分かりやすくせずにそのまま説いた経典であらけずりの教えであるとした。 唐の法蔵は「華厳五教章」のなかで五教十宗判の教相判釈を行い、華厳の教えを最高としている。
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