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2013年5月30日木曜日

合気道

護身術は、合気道だろうな? 守るための武道。

合気道(あいきどう・合氣道)は、武道家・植芝盛平が大正末期から昭和前期にかけて創始した武道。植芝盛平が日本古来の柔術・剣術など諸武術を研究し、独自の精神哲学でまとめ直した、体術を主とする総合武道である。

(植芝盛平が創始したもの以外の「合気道」は→“「合気道」の名称について” にて詳述。)

「合気道」とは「天地の“気”に合する道」の意[1]。
柔道・剣道・空手道等と並び、21世紀初頭の日本において代表的な武道の一つである[2]。大東亜戦争(太平洋戦争)終了後、一般社会への普及が始まり、日本のみならず世界で大きく広まった[3][4]。

合理的な体の運用により体格体力によらず「小よく大を制する」ことが可能であるとしている点が特徴。

技の稽古を通して心身を練成し、自然との調和、世界平和への貢献[5]を行う等を主な理念とする。

技・稽古の特徴

合理的な体の運用により体格体力に関係なく「小よく大を制する」、また投げ技・固め技により、相手を傷つけずに制することが可能としている。(→“技の形態”、“合気と呼吸力”、“「護身術」としての有効性に関する議論”)
二人一組の約束稽古(何の技を行うか合意の元に行う)中心。投げ技・関節技が主で打撃技の稽古は少ない。(→“稽古の形態”)
試合がない。[13](→“主な会派”)
段級位制をとっている。
稽古着は柔道・空手などと同系の、白晒し筒袖・前合わせの上衣に、白晒しズボン状の股下(こした)を用いる。成人初級者は白帯、有段者は黒帯と、股下の上に黒袴(スカート状のものではなく、ズボンのように股の割れた「馬乗り袴」)を着用する。[14]
柔道と同様、畳上で稽古する。
稽古相手相互の座礼・道場正面への礼など一般的な最低限の礼法を除けば、合気道全体で統一化・定型化されたような厳格な礼法は無い。

理念・精神性

「精神的な境地が技に現れる」とされており、他武道に比べ精神性が重視される。これは神道・大本教との関係など[15]、精神世界への志向性が強かった盛平自身の性格の反映といえる。 このように創始者個人の思想や生い立ちが個々の修行者に及ぼすカリスマ的な影響力は、他武道に比して強い。その背景には、小兵でありながら老齢に達しても無類の強さを発揮するなど、盛平に関しての超人的なエピソードが幾つも伝わっており(→植芝盛平・エピソード)、それが多くの合気道家に事実として信じられ、伝説的な武術の“達人”として半ば神格化されていることも大きな理由の一つである。
武術をベースにしながらも、理念としては、武力によって勝ち負けを争うことを否定し、合気道の技を通して敵との対立を解消し、自然宇宙との「和合」「万有愛護」を実現するような境地に至ることを理想としている[16]。主流会派である合気会が試合に否定的であるのもこの理念による。「和の武道」「争わない武道」「愛の武道」などとも形容され、欧米では「動く禅」とも評される。
近代以降、武道の多くが「剣道(剣)」「柔道(投・極)」「空手(打)」と技術的に特化していったのに対し、合気道では投・極・打(当身)・剣・杖・座技を修し、攻撃の形態を問わず自在に対応し、たとえ多数の敵に対した場合でも、技が自然に次々と湧き出る段階まで達することを求める。この境地を盛平は「武産合気」(無限なる技を産み出す合気[17])と表現し、自分と相手との和合、自分と宇宙との和合により可能になるとしている。[18]
武術とは一見相反する「愛」や「和合」という概念を中心理念として明確に打ち出した合気道の独自性は、第二次世界大戦後・東西冷戦や南北対立下で平和を渇望する世界各国民に、実戦的な護身武術としてと同時に、求道的な平和哲学として広く受け容れられた。またこのような精神性は、盛平の神秘的な言動や晩年の羽織袴に白髯という仙人を思わせる風貌と相まって、盛平のカリスマ性を高める要因ともなった。
盛平の弟子の中には藤平光一を初めとして、多田宏、佐々木の将人のように、ヨガを日本に持ち込んだ中村天風の影響を受けた合気道師範も多く、合気道の精神性重視という気風を次代に継承している。

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