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2013年6月18日火曜日

生存競争よりも、自然選択

とにかく、神は賽を投げない。

人智では、タバコの煙の拡散でさえ、正確に予測できない。

不確定性原理を持ち出すまでもない。

だが、宇宙の原理は必然である。過去、現在、未来にわたって、決定的である。

一方、巨視的な生物圏は偶然に支配されている。


生存競争は必ずしも妥当でない。

自然の摂理は無駄な競争はしない。なすがままである。

【生存競争】(struggle for existenceの加藤弘之による訳語)
生物のすべての種は多産であるので、生存して子孫を残すのは環境に対する適者であり、不適者はおのずから淘汰されるものと見られ、これを同種の競争とみなして、生存競争という。ダーウィンはこれに基づいて自然淘汰説を立てた。原義は生存闘争で、その場合には異種間の対立関係を含む。

【適者生存】(survival of the fittest)
(H.スペンサーの造語、井上哲次郎が訳語)
生物が、生存競争の結果、外界の状態に最もよく適したものだけが生存繁栄し、適していないものは衰弱滅亡すること。


生存競争というよりも、自然選択である。

【自然淘汰】(natural selection)
進化論の用語。ある種の個体間で、ある形質を持つ個体がそれを持たない個体よりも多くの子孫を残すことができ、しかもその形質が遺伝するなら、その形質が後の世代により広く伝わるようになること。このような過程が集積することによって適応的進化が生じたとするのを自然淘汰説という。ダーウィンが提唱。なお、現代では淘汰の単位として遺伝子や集団・種が想定されることもある。自然選択。

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