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2013年5月4日土曜日

土偶と埴輪


日本の原始信仰・土偶(縄文人)



日本の原始信仰・埴輪(弥生人?)




次は埴輪の歴史。
古墳の登場とともに姿をあらわし、
その衰退とともに姿を消していった彼らだが、
その間にはいくつかの変遷があった。

まずは埴輪が歴史に姿を見せるその前に目をやって、
埴輪のルーツについて述べてみよう。

弥生時代末期、吉備地方の墳墓には、
「特殊器台」「特殊壺」とよばれる土器が置かれていた。
これらの土器は弧帯文という複雑で特殊な文様によって
飾られており、置かれる場所も限られ数量も少なかった。

それが3世紀も中頃になると畿内に
つくられはじめた前方後円墳に置かれる。
そののち「特殊器台」「特殊壺」土器は、
簡素化され複雑な文様を失っていくにつれ、
円筒埴輪とよばれる形へと変遷していく。

形象埴輪が見られるようになるのは4世紀の前半から。
家屋、蓋形、鶏、武具といったものが発見されている。
5世紀中ごろになると人物の埴輪もあらわれ、
犬や馬といった動物埴輪も多くつくられるようになった。
畿内での埴輪の衰退は前方後円墳の衰退と時を同じくし、
後代の葬送儀礼において用いられることはなかった。

ただし、その後も前方後円墳が多数造られつづけた
関東地方においては埴輪も多く出土している。


分からない人が多い埴輪と土偶の違い。
「どっちも同じ土人形じゃん」とか、
材料が同じものから出来ているので勘違いされてる方もいますが、
もうこの際なんではっきり言っておきましょう。

違いますから!一緒にしないで下さい。

ではまず埴輪からズバッと説明していきましょう。
埴輪は土製の焼き物です。
また埴輪の形は大きく2つに分けることができます。
それぞれ円筒埴輪と形象埴輪と呼ばれ、
円筒埴輪は特殊器台形土器としても有名です。
これは壺を上に乗せるための土器として作られたため
こう呼ばれています。

一方の形象埴輪は、武人や馬などの形をした
埴輪のことを総称した言い方です。

また埴輪は、死者の魂が寂しくないようにという理由や、
その人が生前どれだけの権威を持っていたかにもよって、
置かれて埴輪が違っていたことも事実です。
世紀によって使用された理由が違っていたり、
ほとんど破損していないものが多いのも
埴輪の特徴になっています。
一般的に、埴輪は墓(古墳)を飾るものだと覚えておきましょう。

対して土偶はというと。
これは土製品になります。
こちらの特徴としては、女性像、女性の性を強調したものが多いこと。
また、完全な姿形をした土偶が極めて少ないということです。
一般的には出産や、悪魔払いなんかで使用したのではないか
と考えられており、本当の目的や用途についてはわかっていません。
姿形も埴輪とは違い、どこか禍々しい。
その姿形は宇宙人すら想像させる。
よく「土偶はきもい」との声が聞こえてきますが、
そんなことはありません。
確かに若干キモイですが、よくよくみると愛着が湧いてきたりします。
覚え方ですが、どこかしら破損していて、
女性像が多いということを覚えておきましょう。

ざっと説明をしてみましたがお分かりになったでしょうか?
考えてみれば昔の人は凄いですね。
土だけでこれらを作ってしまうのですから。
いやぁ感心させられますね。

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