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2013年10月13日日曜日

ミレニアム問題

ミレニアム問題です。


 秋を確かめに、フランス南部のエクサンプロバンスに出かけた。土地の画家セザンヌが愛した光と泉の街だ。ここも残暑の中ながら、10月の日差しはさすがに柔らかい。噴水が連なる名所ミラボー通りのプラタナス並木は、色あせた葉をまだしっかりと蓄え、やさしい影を歩道に投げていた。

 南仏の秋は、どうかすると冬より寂しい。裏道にまであふれた行楽客(バカンシエ)や、音楽祭の余韻のせいだろうか。一年を通してにぎわう観光地にも、引き潮のように「オフ」の空気が漂う。

 バスで約30分、マルセイユに出た。旧港を巡る道は人影まばら。「誰もいない海」とはいかないけれど、季節はなるほど、ひとつ回っていた。

 岸壁に巻き尺を垂らし、海面までを測る。干潮に向かう時刻にしては意外と水が近く、75センチだった。潮の干満、四季の移ろいとは別の時間スケールでゆっくり、しかし有無を言わせず進行中の変異を思った。ニュースで知った「82」という数字を重ねて。

 国連の、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書である。今世紀末の世界の平均気温は、ここ最近(1986~2005年)に比べ最大4・8度上がり、海面は「82センチ」高くなるかもしれないという。報告は、温暖化の原因は95%以上の確率で人間の活動にある、とも指摘した。

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 18世紀半ばの産業革命以来、大気中の二酸化炭素濃度は4割高まり、地球は丸い温室になった。石炭や石油を燃やし続けた結果である。戦争をはじめ「人の営み」が加速する20世紀から、影響は目に見えるようになる。

 北極海の氷が解けて新航路ができる一方で、南極では厚い氷床が海に崩れ落ちている。北の巨島グリーンランドの氷床は厚さ数キロに及び、すべてが消える場合、世界の水位は千年かけて7メートルほどせり上がるそうだ。

 「今世紀末で82センチ上昇」も最悪のケースというが、どうだろう。二酸化炭素を野放図に吐き続ける米国や中国を思うに、これで収まるか疑わしい。

 最高地で2・4メートルしかないインド洋の島国モルディブは、海面が1メートル上がると国土の8割を失う。南太平洋のツバルやキリバスも似た境遇だ。おぼれるように国を追われる「環境難民」があふれかねない。

 国際的な対策を練り直す15年の会議(COP21)が、ひとつの岐路と目される。ホスト国に手を挙げたフランスのルモンド紙は、社説で「行動における無責任から脱しよう!」と記した。地球の危機に、海も山もない。

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 だれ(なに)が世界を動かしているか、という問いがある。国なら欧州列強、米ソの時代と続き、中国が台頭してきた。宗教、あらゆる欲望、情報や医療のテクノロジー、近年はマーケットも侮れないが、結局、地球環境を超える支配者はないように思う。

 人にも生物としての制約があり、空気や水、食糧が怪しくなれば危うい。すでにこの惑星は、暴風雨や干ばつの多発で怒りのサインを発している。

 地表の熱を深海がじわじわ抱え込んでいる、とする仮説がある。ある日突然、海か空の堪忍袋が破れたらどうしよう。それは、秋にプラタナスが葉を落とすといった感傷には遠い、激烈な事象になろう。ひと握りの都合で、他の数十億人、まだ見ぬ数百億人、すべての動植物を苦しめるような不道徳が長続きするはずはない。

 まだ間に合う。化石燃料でも原子力でもない、第三の道を少しずつ広げることだ。自然エネルギーと、節約・循環型の社会である。日本には、それに挑んで範となる力と責任がある。

 研究者が叫んでも、リーダーたちが動かなければ変わらない。まずは科学と政治を隔てる「無責任の壁」を崩そう。人の一生=せいぜい1世紀の巻き尺で考える限り、危機感は薄まり、地球はどんどん住みづらくなる。あすの空模様も気になるが、たまには個を離れ、10世紀先を心配してみたい。

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