中央銀行の最大の役割は、金融システムの安定。マネー=信用
アベノミクスは、マネーゲーム。
デイビッド・シュトックさん(25)は「物価と金融の安定の重要性をたたき込まれた。3年間で理論と実践を学ぶことができた」と話した。
■特派員リポート 星野眞三雄(ヨーロッパ総局員)
日本銀行が物価上昇率2%という「インフレ目標」を設定した。大規模な金融緩和を求める安倍晋三首相の圧力に屈した形で、ドイツ連邦銀行(中央銀行)のワイトマン総裁は「政権が干渉し、中央銀行の独立性を脅かしている」と強く批判した。お札という、いわば「紙切れ」に信用を与え、お金として成り立たせている中央銀行。そのあり方を、ドイツで考えた。
ドイツ西部のフランクフルトには、欧州共通通貨ユーロの金融政策を決める欧州中央銀行(ECB)と、ドイツ連銀の本部がある。郊外のドイツ連銀の貨幣博物館を訪れて、「お金の価値とは何か」を突きつける展示に目を奪われた。
1920年代のハイパーインフレ時に流通していた、100兆マルク紙幣だ。
ドイツは第1次世界大戦後、財政赤字を埋めるための紙幣増刷がハイパーインフレを招き、ナチスの台頭にまでつながった苦い経験を持つ。そのため、お札をどんどん刷ることで政府の支出をまかなう「財政ファイナンス」への反対がことのほか強い。ECBが昨年9月の理事会で国債買い入れ策を決めたときも、ワイトマン総裁は「中央銀行による財政支援にあたる」として反対を主張。理事会後すぐに声明を発表し、「国債買い入れ策は、財政ファイナンスと同じ。金融政策は財政に隷属させられる危険にさらされている」と批判した。
ハイパーインフレ。当時の物価は戦前の1兆倍を超えてはね上がった。コーヒー1杯飲むのにもトランク一つ分の札束が必要だったという。その結果として生まれたのが100兆マルク札なのだ。すさまじいインフレは国の経済と庶民の生活を破壊した。その悔恨は身にしみている。ドイツ連銀は政府からの独立性を世界で最も確保された中央銀行の一つとして、「物価の安定」を金融政策の目的として掲げた。
貨幣博物館には、子どもたちも楽しめるゲームがある。「中央銀行の役割を想定した」というそのゲームは、左側に「もの」、右側に「お金」が表示され、真ん中のレバーで通貨の供給量を調節する。つまり、レバーで金融緩和と引き締めを操作するのだが、タイミングが少し遅れただけで、あっという間にインフレになってしまう。
「気をつけて! タイムラグがあるから、考えているより簡単じゃないよ!」というゲームの説明書きは、現実の金融政策の難しさそのままだ。
通貨はマルクからユーロになり、金融政策はECBが決めている。それでも、「中央銀行の役割は、物価の安定だ」というドイツ連銀の自負が、博物館からも伝わってくる。
その連銀(ブンデスバンク)が、大学をもっているという。いかにも「ブンデスバンカー」というような堅物の養成所なのだろうか。フランクフルトから足を延ばした。
特急で北西へ1時間弱。モンタバウアー駅からさらに車で40分余り。小雪の舞うハッヘンブルクの丘に、12世紀のお城を改修した校舎があった。ドイツ連銀大学だ。
学長のエリック・ケラー教授(52)が案内してくれた。民間銀行勤務を経て、1980年創立の大学に入り、82年に卒業した1期生だ。卒業後に勤めたドイツ連銀を3年で退職し、別の大学院に進学。ドイツ連銀大学の教授に応募して91年から教鞭(きょうべん)をとっているという。
大学には19~25歳の約400人が在籍する。ドイツ連銀か金融監督庁の職員がほとんどで、3年間、金融政策や銀行監督などを学ぶ。学費は無料。月850~1250ユーロ(約10万~15万円)の給料が出る。卒業してから5年以内に退職した場合は、勤務期間に応じて最大約2万5千ユーロを払わなければならないが、勉強を教えてもらって給料ももらえる恵まれた環境だ。ケラーさんは「優秀な学生を早めに確保するためだ。大学や大学院を出るのを待っていたら、給料の高い投資銀行に行ってしまうから」と説明する。毎年1500~2000人の入学希望者がいて、能力を見て120~130人にしぼり込まれる。
これまでの卒業生は約3千人。その8割はドイツ連銀で働き続けており、全職員の3分の1を占めるほどになった。銀行監督局長などの要職につく人も増えてきた。民間銀行に2年間勤めた後に大学に入ったデイビッド・シュトックさん(25)は「物価と金融の安定の重要性をたたき込まれた。3年間で理論と実践を学ぶことができた」と話した。最終試験をクリアした後にドイツ連銀の支店に配属されるという。
学生は寮生活を送り、講義は朝7時半から午後0時半まで。7割はドイツ語、3割は英語で進められる。午後にはグループでの研究や、クラブ活動。学内にはカフェテリアやバーだけでなく、小さいながらもボウリング場があり、ビリヤード台などもあった。
バーの生ビールは、1杯=1・05ユーロ。大学創立当時から金額を変えていないそうだ。ケラーさんは「これが物価の安定です」と笑った。
大学の寮に泊めてもらい、物価安定の象徴たるビールを楽しみながら、教授や学生らと語り合った。気になっていたことを何人かに聞いてみた。
――どうして物価の安定にこだわるのでしょうか。
「ドイツはハイパーインフレを経験しているから」 「物価の上昇率より給料の上がり方が少ないので、庶民の生活が厳しくなる」
「高インフレで年金は実質マイナスになってしまい、それまでの努力を無にしてしまう」
「インフレで最も困るのは弱者だ」
正論というか、教科書通りというか、ドイツ連銀らしい答えが返ってきた。
逆に彼らからは、安倍政権による巨額の経済対策や、日本銀行への金融緩和圧力について聞かれた。
欧州は政府債務(借金)危機に陥っているが、政府債務残高の国内総生産(GDP)比は日本の方が高い。欧州各国は財政緊縮策に取り組んでいるのに、日本は巨額の補正予算を組み、「輪転機をぐるぐる回してお札を刷る」「建設国債を(市場で)全部買ってもらう」と日銀に迫る。そんな行動は理解ができないし、ドイツの過去の過ちに重なるというのだ。
ある教授は「一人の納税者としての意見」と断ったうえで、こう言っていた。
「政府が借金を重ねれば、私たちの子どもや孫たちが返していかなければならない。中央銀行が国債を買うのは一時しのぎに過ぎず、むしろ将来世代の負担増につながる。政治家は、今だけでなく、未来に対しても責任を果たさなければならない」
まったく同感だ。
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星野眞三雄(ほしの・まさお)=ヨーロッパ総局員
1994年入社。徳島、千葉の支局、北海道報道部、西部本社(福岡)経済部、東京本社経済部などを経て、2012年4月から現職。経済部では、国土交通省、日本銀行、金融庁、財界、経済産業省、首相官邸、財務省などを担当した。41歳。
http://digital.asahi.com/articles/TKY201301280415.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201301280415