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2014年5月23日金曜日

無敵の人

人は社会的動物である。

生まれたときは、みな丸裸。犯罪者ではない。

社会が犯罪を生みだしている・・・





著者AERA編集部・鈴木毅・宮下直之 出版社朝日新聞出版 出版媒体AERA


日本に跋扈する「無敵の人」 失うものがない強さと無差別犯罪
2014年05月23日 (10300文字) AERA
事件


 恋愛に縁がなく、友達も少ない。働いていても低収入の20~30代の男たちが、いま「最強」予備群として着実に増えている。成功者を妬んで脅迫し、乗用車で歩道に突っ込み、住宅街で連続殺傷事件を起こす。失うような人間関係も社会的地位もない者は、恐れるものもない。彼らを作り出したものは、何か。「黒子のバスケ」連続脅迫事件の被告は予言する。「日本社会は『無敵の人』が増えこそすれ減りはしません」。その言葉は現実味を帯びて、日本社会を覆い始めている。彼らに対峙する術もないままに。

◇「とっとと死なせろ!」
◇根底にある「承認欲求」
◇恋愛遠く友人とも希薄

◇「無敵の人」が増えこそすれ減りはしません/「黒子のバスケ」連続脅迫事件の渡辺博史被告の意見陳述書(抜粋)
◇相談投稿サイトへの書き込み/名古屋駅前暴走事件の大野木亮太容疑者
◇ネットに載せた自己紹介文(抜粋)/柏市連続殺傷事件の竹井聖寿容疑者


 誰でも日々の生活のなかで耐え難い怒りを覚えたり、不満を抱いたりすることがあるだろう。わからずやの上司であったり、強権的な担任教師であったり、あるいは、居酒屋の隣の客であったり……。自分の気持ちを無遠慮に踏みにじる相手に、できることなら、その場でその人間を消し去ってやりたい、と思ったことが幾度かはあるはずだ。
 しかし、普通はそれを実際に行動に移すことはない。そんなことをしてしまったら、結局は自分にとって「損」になることがわかっているからだ。
 ところが、世の中にはこうした『常識』など関係ない人間がいる。「無敵の人」である。
 ゴールデンウイークのはざまの4月30日午後、人気漫画「黒子のバスケ」をめぐる一連の脅迫事件で威力業務妨害罪に問われた渡辺博史被告(36)の第2回公判が東京地裁であった。
 若干髪が伸び、頬がこけた様子の渡辺被告は、落ち着いた表情ながら注意深く傍聴席を見まわすと、席に着いた。送検時と同じグレーのスウェット上下は、留置場から借りたままのものだ。自分には裁判用の衣服を差し入れてくれる人など誰もいない――彼が自分で主張するとおりの現実なのだろう。

「とっとと死なせろ!」

 事件自体もさることながら、この裁判が世間の注目を大きく浴びることになったのは、渡辺被告が3月13日の初公判で、『独演会』よろしく、15分間にわたって自ら意見陳述書を読み上げた瞬間だった。
 「一連の事件を起こす以前から、自分の人生は汚くて醜くて無惨であると感じていました。それは挽回の可能性が全くないとも認識していました。そして自殺という手段をもって社会から退場したいと思っていました」
 地元の進学校を卒業後、大学受験に失敗し、20代でアニメの専門学校に入学したが、1年ほどで中退。その後、コンビニや工事現場など職を転々とし、年収も200万円を超えたことがない。逮捕時の仕事も日雇い派遣で、家賃4万円のアパートに住んでいた。この10年ほどは重度のネット依存生活だったという。そんな中、「自分が手に入れられなかったもの」すべてを持っている漫画の作者の存在を知り、道連れにしてやろうと考えた――それが、自ら「人生格差犯罪」と表現する犯行の動機だった。
 そして、静まり返る傍聴席を背に、最後にこう叫んだ。
 「こんなクソみたいな人生やってられるか! とっとと死なせろ!」
 この意見陳述の全文は、月刊誌「創」の篠田博之編集長のブログに掲載され、誌面化もされた。ネット上では「気持ちはわかる」「他人事と思えない」などと被告の主張に賛同する声も多い。なかでも人々をドキリとさせたのは、この文言だった。
 〈自分のように人間関係も社会的地位もなく、失うものが何もないから罪を犯すことに心理的抵抗のない人間を「無敵の人」とネットスラングでは表現します。これからの日本社会はこの「無敵の人」が増えこそすれ減りはしません・・・

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