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2013年9月8日日曜日

日本の悲劇

佐藤忠雄さん、NHKのアジア映画劇場の解説を行った。

このグラフは、日本の悲劇が特殊なケースでないことを表している・・・



■評:誰にもありえる家族の不幸

 【佐藤忠男・映画評論家】現在の東京のどこか下町にある路地の家につつましく暮らしている一家の話である。父親は引退した職人。4年間、意識を失ったままだった妻の死後、自分も癌(がん)で入院していたが、手術をしないと死ぬと言われると、勝手に退院してこの家に帰ってくる。そして自分の部屋にとじこもり、このまま飲まず食わずでミイラになって死ぬと宣言する。

 息子は母親を亡くなるまで介護し、うつ病になり、離婚した妻と娘を東北の災害で失った。求職活動はしているが仕事はなく、収入は父親の僅(わず)かな年金だけで食いつないでいる。じつは父親が帰ってきたのは、この家で人に知られずに死ぬことで、しばらくは自分の年金を息子に受け取らせるつもりだったからだ。

 父親を演じるのは仲代達矢で、そんなことをさせてたまるかと必死で止めようとする息子は北村一輝である。この部屋の内と外とでの、ともに怒りのこもった2人の激しい言葉のやりとりがこの映画の大きな部分をしめている。ここで不幸の条件とされていることは、今の日本では大いにありうることばかりである。小さな一家族の中の出来事だが、これを「日本の悲劇」と呼ぶのは決して大げさではない、と、見ていて思えてくる。
 彼らにもしあわせな日々はあった。母親(大森暁美)と息子の妻(寺島しのぶ)と娘がまだ元気だった頃の和気あいあいの様子が、そこだけカラーの回想場面となって出てくる。こういう当たり前の家族がいつ途方に暮れることになるか分からないのだ。
 脚本と監督は小林政広。小品だが、しかし、配役は一流である。実力のある俳優たちがお互いに相手役を信頼して存分に演技しているという充実感が、この映画のしあわせなところである。
 公開中。


佐藤 忠男(さとう ただお、1930年10月6日 - )は、日本の映画評論家・教育評論家。

新潟県新潟市出身。新潟市立工業高等学校(現在、新潟市立高志高等学校)卒業。予科練出身。

新潟在住のまま、国鉄、電電公社等へ勤務。『映画評論』の読書投稿欄に映画評を盛んに投稿。また、1954年に『思想の科学』に大衆映画論「任侠について」を投稿し、鶴見俊輔の絶賛をうける。1956年刊行の初の著書『日本の映画』でキネマ旬報賞を受賞。

その後、上京して『映画評論』『思想の科学』の編集にかかわりながら、評論活動を行う。さらに、1973年から、妻の佐藤久子と共同で個人雑誌『映画史研究』を編集・発行。他に日本映画学校校長(1996年~2011年)などをつとめ、現在は日本映画大学学長(2011年~)。

1996年に紫綬褒章を受章。その他に、勲四等旭日小綬章、芸術選奨文部大臣賞、韓国王冠文化勲章(韓国)、レジオンドヌール勲章シュヴァリエ、芸術文化勲章シュヴァリエ(フランス)等を受賞。
第7回川喜多賞を、妻の佐藤久子とともに受賞。

アジア映画を中心として世界中の知られざる優れた現代映画を発掘・紹介し、映画界全体の発展に寄与した。

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