Save the Shimokitazawaって、古い下北沢から、新しい下北沢への変わり目で、古い下北沢をどうするか?
そういう問題じゃないの?
世代交代の波です・・・
2018年、シモキタはこう変わる! NYのハイラインを手本に“交流の舞台装置”へ
目指すは、ニューヨークの観光名所「ハイライン」のような「ゆったりと人と人とがつながるコミュニケーションの舞台装置」(保坂展人・世田谷区長)。
今年3月に地下化した小田急小田原線(代々木上原―梅ヶ丘間)の線路跡地利用が、ようやく具体化に向けて動き始めた。かつて線路が走っていた2万7500平方メートルのうち、約1万平方メートルを世田谷区が広場や通路として整備し、残りについては小田急電鉄が商業施設や集合住宅などを開発する。
■3駅3様の街づくり
地下化した3駅の周辺地区は、駅ごとにテーマを設定し、街づくりが進められる。
いちばん東側(新宿寄り)に位置する東北沢駅は、閑静な住宅街の中に位置しており、周辺にクリエーティブ系の職種に就く人が多く住んでいることから、「文化発信ゾーン」というテーマを設定した。駅周辺では生活雑貨店やカフェ、住宅などの開発を検討している。
最も西側(小田原寄り)にある世田谷代田駅の周辺は、住宅区域であるが、住民の高齢化が目立ち始めている。そこで、今回の再開発に際して「世田谷ライフ発信ゾーン」と位置づけ、子育て世代をはじめとした多くの世代にとって住みやすい街にする方針。具体的には、駅近辺に子育て世代のニーズに合う賃貸住宅を開発していく。
だが、再開発の目玉は何といっても、「シモキタ」の愛称で知られる下北沢駅周辺だろう。再開発のテーマは「シモキタショッピングゾーン」とし、駅舎の2階に商業施設を置く。
ただし、「大規模な商業施設は考えていない。地域からどういうものが必要とされているのか、検討を進めている」と、小田急の山木利満社長は語る。駅周辺の商店街との共存が可能なものとする予定だ。
さらに、駅を挟んで南と北で高低差があることを考慮して、駅舎の2階部分と駅前広場がつながる設計にし、駅から周辺への回遊性を高める。バス・タクシーのロータリーを含めると広さ約7200平方メートルに及ぶ駅前広場は、祭りなどのイベントに活用するほか、災害時には避難場所として使うものとし、防火水槽などを設置する。また、自転車置き場の上部には、立体緑地や小広場が設けられる。
※記事初出時、「駅舎の2階は住宅として活用するほか、生活雑貨店やカフェなどの誘致も検討している」としていましたが、お詫びして上記下線部のように訂正いたします。
■NYでは廃線跡地が観光名所に再生
この再開発計画を説明するに当たって保坂区長がしきりに引き合いに出したのが、米国ニューヨーク市を走っていた貨物線の跡地を空中緑道として再生したハイラインだ。
1980年に廃線となった高架式の貨物線は長年放置され、荒廃していた。しかし、1999年に地元住民が中心となり、パブリックスペースとして再利用しようという動きが起こった。紆余曲折を経て、それから10年後、かつての線路や枕木と移植された草木が混然一体となった公園として整備された。
保坂区長は「世界に文化を発信するシモキタという街に、新たな価値を付与したい」と、意気込みを語る。
とはいえ、シモキタの再開発計画はすんなり進んだわけではない。
2011年2月に東京都、世田谷区、小田急の間で線路跡地利用に関する計画が取りまとめられた。だが、同年4月に就任した保坂区長は、東日本大震災を踏まえて、防災に重点を置いた独自案を公表。計画は暗礁に乗り上げた。その後の複数回にわたる折衝を経て、立体広場の設置や小広場の面積拡大など世田谷区の要望を何点か取り入れた形で、今回の修正計画が作られた。
山木社長は「世田谷区とは基本的な部分では相違はなかった」と協調姿勢を示す。
ただ、ハイラインをしきりに引き合いに出す保坂区長に対し、山木社長は「ハイラインは廃線の上に作られたが、シモキタは“生きている線路”の上に作るもの」と漏らすなど、微妙な感情のしこりものぞかせる。
今回まとまったのは、あくまでも全体のおおまかな構想。今後のスケジュールについて、山木社長は「複々線化が完了する2018年度が一つの目安となる」と語る。事業費などの議論は、これから本格化することになる。
過去の遺恨を胸の奥にしまい、世田谷区と小田急は共同歩調でシモキタを生まれ変わらせることができるのか。シモキタ一帯の再開発は、まだ緒に就いたばかりだ。
http://news.livedoor.com/article/detail/8282210/
そういう問題じゃないの?
世代交代の波です・・・
2018年、シモキタはこう変わる! NYのハイラインを手本に“交流の舞台装置”へ
目指すは、ニューヨークの観光名所「ハイライン」のような「ゆったりと人と人とがつながるコミュニケーションの舞台装置」(保坂展人・世田谷区長)。
今年3月に地下化した小田急小田原線(代々木上原―梅ヶ丘間)の線路跡地利用が、ようやく具体化に向けて動き始めた。かつて線路が走っていた2万7500平方メートルのうち、約1万平方メートルを世田谷区が広場や通路として整備し、残りについては小田急電鉄が商業施設や集合住宅などを開発する。
■3駅3様の街づくり
地下化した3駅の周辺地区は、駅ごとにテーマを設定し、街づくりが進められる。
いちばん東側(新宿寄り)に位置する東北沢駅は、閑静な住宅街の中に位置しており、周辺にクリエーティブ系の職種に就く人が多く住んでいることから、「文化発信ゾーン」というテーマを設定した。駅周辺では生活雑貨店やカフェ、住宅などの開発を検討している。
最も西側(小田原寄り)にある世田谷代田駅の周辺は、住宅区域であるが、住民の高齢化が目立ち始めている。そこで、今回の再開発に際して「世田谷ライフ発信ゾーン」と位置づけ、子育て世代をはじめとした多くの世代にとって住みやすい街にする方針。具体的には、駅近辺に子育て世代のニーズに合う賃貸住宅を開発していく。
だが、再開発の目玉は何といっても、「シモキタ」の愛称で知られる下北沢駅周辺だろう。再開発のテーマは「シモキタショッピングゾーン」とし、駅舎の2階に商業施設を置く。
ただし、「大規模な商業施設は考えていない。地域からどういうものが必要とされているのか、検討を進めている」と、小田急の山木利満社長は語る。駅周辺の商店街との共存が可能なものとする予定だ。
さらに、駅を挟んで南と北で高低差があることを考慮して、駅舎の2階部分と駅前広場がつながる設計にし、駅から周辺への回遊性を高める。バス・タクシーのロータリーを含めると広さ約7200平方メートルに及ぶ駅前広場は、祭りなどのイベントに活用するほか、災害時には避難場所として使うものとし、防火水槽などを設置する。また、自転車置き場の上部には、立体緑地や小広場が設けられる。
※記事初出時、「駅舎の2階は住宅として活用するほか、生活雑貨店やカフェなどの誘致も検討している」としていましたが、お詫びして上記下線部のように訂正いたします。
■NYでは廃線跡地が観光名所に再生
この再開発計画を説明するに当たって保坂区長がしきりに引き合いに出したのが、米国ニューヨーク市を走っていた貨物線の跡地を空中緑道として再生したハイラインだ。
1980年に廃線となった高架式の貨物線は長年放置され、荒廃していた。しかし、1999年に地元住民が中心となり、パブリックスペースとして再利用しようという動きが起こった。紆余曲折を経て、それから10年後、かつての線路や枕木と移植された草木が混然一体となった公園として整備された。
保坂区長は「世界に文化を発信するシモキタという街に、新たな価値を付与したい」と、意気込みを語る。
とはいえ、シモキタの再開発計画はすんなり進んだわけではない。
2011年2月に東京都、世田谷区、小田急の間で線路跡地利用に関する計画が取りまとめられた。だが、同年4月に就任した保坂区長は、東日本大震災を踏まえて、防災に重点を置いた独自案を公表。計画は暗礁に乗り上げた。その後の複数回にわたる折衝を経て、立体広場の設置や小広場の面積拡大など世田谷区の要望を何点か取り入れた形で、今回の修正計画が作られた。
山木社長は「世田谷区とは基本的な部分では相違はなかった」と協調姿勢を示す。
ただ、ハイラインをしきりに引き合いに出す保坂区長に対し、山木社長は「ハイラインは廃線の上に作られたが、シモキタは“生きている線路”の上に作るもの」と漏らすなど、微妙な感情のしこりものぞかせる。
今回まとまったのは、あくまでも全体のおおまかな構想。今後のスケジュールについて、山木社長は「複々線化が完了する2018年度が一つの目安となる」と語る。事業費などの議論は、これから本格化することになる。
過去の遺恨を胸の奥にしまい、世田谷区と小田急は共同歩調でシモキタを生まれ変わらせることができるのか。シモキタ一帯の再開発は、まだ緒に就いたばかりだ。
http://news.livedoor.com/article/detail/8282210/
0 件のコメント:
コメントを投稿