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2013年9月3日火曜日

バビロンシステムからの離脱

バビロンシステムからの離脱

あとがき

人生は、仕事、生活、娯楽。僕の人生の出口は浄瑠璃世界の運営であり、シャングリラを見ることである。そして、人生の最後はあの世行き。冥土へ行くか? 極楽へ行くか? 悟りを開くとは、梵我一如となることです。ブラフマンとアートマンが一体化すること。これはヒンドゥー、仏教の世界。僕はグレイトシステムと浄瑠璃世界の一体化を目指している。

梵我一如(ぼんがいちにょ)とは、梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想。古代インドにおけるヴェーダの究極の悟りとされる。不二一元論ともいう。

梵我一如

じょうるり-せかい 【浄瑠璃世界】
〔仏〕 薬師如来の浄土。地は瑠璃から成り、建物・用具などがすべて七宝造りで、無数の菩薩が住んでいるという。薬師浄土。

シャングリラは阿閦世界である。




カネがなければ、何もできない。カネがあっても、すべては手に入らない。

バビロンシステムと最低限の取引は必要です。

大草原で一人で生きるアメリカインディアンの大シャーマンはバビロンシステムから離脱しています。

実は、ホームレスは、バビロンシステムから、ほぼ離脱している人です。

空き缶を拾い、換金して食いつないだ。

雑誌を販売するのはホームレスの人たちで、1冊売ると、300円の売り上げのうち160円が販売員の収入になります。

大シャーマンは、大草原で食い物を調達して、生きる。カネは不要です。この点が異なる。


現実には、大シャーマン、仙人、リシなどになるのは、難しい・・・

だから、バビロンシステムとの取引は最低限にして、梵我一如を目指す。

おそらく、この世とあの世の狭間で、梵我一如になるだろう・・・


人を超えて、人を忘れて、大シャーマンになる・・・

最後は、アメリカの大地と一体になり、自然と一体になり、ただひとり、大シャーマンは生きているらしいです・・・

広辞苑より

【シャマニズム】shamanism

シャマンを媒介とした霊的存在との交渉を中心とする宗教様式。極北・シベリア・中央アジア、北米の先住民に一般的で、類似の現象は南アジア・オセアニアなどにも見られる。しかし世界観・超自然観や社会的背景を反映し、一様ではない。中国・朝鮮・日本では巫術・巫俗等の名で知られる。シャーマニズム。

【シャマン】shaman

自らをトランス状態(忘我・恍惚)に導き、神・精霊・死者の霊などと直接に交渉し、その力を借りて宣託・予言・治病などを行なう宗教的職能者。シベリアのツングース系諸族の例が早くから注目された。シャーマン。

【巫覡】(ふげき)(ブゲキ)神と人との感応を媒介するもの。神に仕えて人の吉兆を予言するもの。女を巫、男を覡という。

【巫女】神に仕えて神楽・祈祷を行い、または神意をうかがって神託を告げる者。未婚の少女が多い。かんなぎ。

広辞苑では宗教となっているが、宗教というより現象だと思う。



霞を食って生きる仙人なども、大シャーマンの仲間だと思う。

仙人(せんにん)は、中国の道教において、仙境にて暮らし、仙術をあやつり、不老不死を得た人を指す。羽人、僊人ともいう。道教の不滅の真理である、道(タオ)を体現した人とされる。




リシ(サンスクリット語:ऋषि ṛṣi、英語:Rishi)とは、本来サンスクリットで、ヴェーダ聖典を感得したという神話・伝説上の聖者あるいは賢者達のこと。漢訳仏典などでは「仙人」などとも訳され、インド学では「聖賢」などと訳される。または、サンヒターの内の1つ。

インド神話に於いては、ヨーガの修行を積んだ苦行者であり、その結果として神々さえも服さざるをえない超能力(「苦行力」と呼ばれる)を体得した超人として描かれることが多い。また、神秘的霊感を以て宗教詩を感得し詠むという。俗界を離れた山林などに住み、樹木の皮などでできた粗末な衣をまとい、長髪であるという。
一般には温厚であるが、一度怒りを発すると手がつけられなくなり、その超能力で、条件付きの死の宣告(「〜をしたら死ぬ」など)をしたり、雨を降らせないなどの災いを引き起こしたりするという。




おそらく、大シャーマン、仙人、リシでさえ、自分がいるのがこの星だとは分からなかったはずだ。

トキは前にしか進まない。過去に戻ることは不可能です。


だから、グレイトシステムの憲法は宇宙の原理と自然の摂理です。

サイエンス万能ではないが、サイエンスを無視したら、無知蒙昧になる。

判明した重要な事実は?

宇宙は137億年くらい前に誕生したらしい。

そして、結局は、太陽も燃え尽きて、滅んでしまう。

地動説、万有引力の法則、進化論

これらの天変地異の発見を考えると、今のサイエンスなどは、些事である。

これらの発見をベースに探求していくと、サイエンスの限界に到達する。

結局は、宇宙と自然は人智を超えている。神の領域である。

還元論と全体論

物理学で実証済である。素粒子物理学は還元していくと、神の領域になり人智を超えてしまう。医学や遺伝子学なども似たような状況だと思われる。それよりも、現実的な処方や対策を取った方がベターだ。

不確定性原理は20世紀の大発見のひとつ

【不確定性原理】ふかくていせいげんり
量子力学の確率的性格は本源的・原理的なものであるという主張。1927年ハイゼンベルグが提唱し、位置座標と運動量のように、ひとつの系のふたつの物理量の測定に当たって、両方ともに正確な値を得ることは原理的に不可能な場合があることを具体的に示した。

 コペンハーゲン解釈は物理学にとって重要なトピックスである。量子の怪しい世界にいざなう。量子ポテンシャルはパウリなどの説だ。ユングとパウリの書簡なども興味深い。パウリが実験室に訪れると、実験器具が爆発したという噂がある。機械論的宇宙(マクロ、ニュートン/デカルト)から生命論的宇宙(ミクロ、現代物理学/生物学)への架け橋はコペンハーゲン解釈など量子論の本質が関わる。量子力学の確率統計論は筋肉のゆらぎなどの説明にも使われているようだ。同時に、アインシュタインの相対性原理も不確定性原理と並び称される大原理である。だが、結局は厳密な値を決定することができない。厳密な意味での直線などはあり得ない(数学上の仮定でしかあり得ない)。数学的な数値はすべて近似値でしかない。物理量を厳密に数値で表現することは不可能だ。宇宙は諸行無常の現象でしかないダイナミックなシステムだ。そこで、空を見上げるのではなくて宇宙の果てから自身を見つめてみる。つまり、全体論的に、逆から見たら、どうなるか? 宇宙はすべての時間と空間およびそこに含まれる物質とエネルギーである。自分を宇宙の中心として考えるのではなく、逆から見てみる。

宇宙 -> 銀河系 -> 太陽系 -> 地球 ->生物 -> 動物界 -> 脊椎動物門 ->哺乳綱 -> サル目 -> ヒト科 -> ヒト属 ->ホモ・サピエンス(種) 

 時は前にしか進まない。エネルギーの不可逆遷移過程である。時空の存在理由は不明である。創造主が創ったとしか言いようがない。生命の誕生は神秘である。物質に複雑化する性質があるのだろう。四つの力と関係している。引力、電磁力、強い核力、弱い核力。まだ発見されていない第五の力があるかもしれない。

 ハルマゲドンはディバインシステムとバビロンシステムの戦いである。この戦いは大昔から続いてきた。そして、バビロンシステムが暴走し臨界点を超えて、そのひとつの現象として金融危機が発生した。バビロンシステムは何らかの手段で上層部が下層部をコントロールする。資本主義では、コントロールの手段としてマネーが大きな要因を占める。全体主義では、堅固なハイアラーキーによる権力構造が下層をコントロールする。軍事力などもひとつの手段だ。つまり、権力や軍事力やマネーなどのパワーによる支配である。これを打破するための中途のシステムとして、準ディバインシステムがある。トップダウンとボトムアップのバランス、環境に優しいツールの開発、ソーラーシステムなどが考えられる。大雑把に言えば、バビロンシステム、準ディバインシステム、ディバインシステムのみっつに分かれる。準ディバインシステムにはバビロンシステムの要因も含まれる。しかし、準ディバインシステムでは、ハルマゲドンの戦いにおいて神のサイドがサタンのサイドに対して優勢になっている。神とはヤハウェ、ゴッド、アッラー、ブラフマン、ドラゴン、コスモスなどを指す。機械論的宇宙では、機械を使って宇宙を支配しようとし、生命論的宇宙では、人と宇宙は一体であり機械はその道具にすぎない。システム論的宇宙では、生命と機械が自然な形で融合する。システム論的宇宙がわれわれの目標だ。

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