日本も経済成長時代には、森永ヒ素ミルク、水俣病、カネミライスオイル、いたいいたい病、四日市ぜんそくなどを経てきた。
中国は今、成長期。中国の大気汚染はある程度は仕方ない?
森永ヒ素ミルク中毒事件(もりながヒそミルクちゅうどくじけん)は、1955年(昭和30年)6月頃から主に西日本を中心としてヒ素の混入した森永乳業製の粉ミルクを飲用した乳幼児に多数の死者、中毒患者を出した食中毒の事件。森永ヒ素ミルク事件(森永砒素ミルク事件、もりながヒそミルクじけん)とも。
食品添加物の安全性や粉ミルクの是非などの問題で、現在でも引き合いに出される事例となっている。また、食の安全性が問われた事件の第1号としてもしばしば言及されている。
水俣病(みなまたびょう)は、日本の化学工業会社であるチッソが海に流した廃液により引き起こされた公害病である。 世界的にも「ミナマタ」の名で知られ、水銀汚染による公害病の恐ろしさを世に知らしめた。なお、舞台となった水俣湾は環境庁の調査によって安全が確認され、現在では漁が行われている。
カネミ油症事件(カネミゆしょうじけん)とは、1968年に、PCBなどが混入した食用油を摂取した人々に障害等が発生した、主として福岡県を中心とした西日本一帯の健康被害事件。
イタイイタイ病(イタイイタイびょう)とは、岐阜県の三井金属鉱業神岡事業所(神岡鉱山)による鉱山の製錬に伴う未処理廃水により、神通川下流域の富山県で発生した鉱害で、日本初の公害病で四大公害病のひとつである。略してイ病ともいう。
四日市ぜんそく(よっかいちぜんそく)は、三重県四日市市(塩浜地区を中心とする四日市市南部地域・四日市市中部地域)[1]と隣接する三重郡楠町[2]で1960年(昭和35年)から1972年(昭和47年)にかけて問題化した四日市コンビナートから発生した大気汚染による集団喘息障害である。四大公害病の一つ。
公害病(こうがいびょう)は、人間の産業活動により排出される有害物質により引き起こされる病気である。人体に有害な物質が、水(地下水や河川水)、空気中の浮遊物、ガス、食物などを通じ、引き起こされる。狭義には、環境基本法に定義される公害が原因となる、大気汚染が原因のぜんそく、水質汚濁が原因の有機水銀中毒やカドミウム中毒、大気や川のヒ素汚染による慢性ヒ素中毒などがあげられる。近年は広義で、シックハウスが原因の揮発性有機化合物等の吸引によるアトピーやアレルギーも公害病と呼ばれることがある。
日本では、特に高度経済成長期、つまり1950年代後半から1970年代に、公害により住民へ大きな被害が発生した。このうち被害の大きいものを「四大公害病」という。
水俣病
1956年熊本県水俣湾で発生した有機水銀による水質汚染や底質汚染を原因とし、魚類の食物連鎖を通じて人の健康被害が生じた。
第二水俣病(新潟水俣病)
1964年新潟県阿賀野川流域で発生した有機水銀による水質汚染や底質汚染を原因とし、魚類の食物連鎖を通じて人の健康被害が生じた。
四日市ぜんそく
1960年から1972年三重県四日市市で発生した。主に亜硫酸ガスによる大気汚染を原因とする。
イタイイタイ病
1910年代から1970年代前半に富山県神通川流域で発生したカドミウムによる水質汚染を原因とし、米などを通じて人々の骨に対し被害を及ぼした。
アトピー
多くの有害物質が一般環境中に放出されており、複合的に症状が表れるとも考えられている。
土呂久砒素公害
砒素焼きをしていた宮崎県高千穂町の旧土呂久鉱山のまわりに慢性ヒ素中毒患者が発生した。1971年に告発され、環境庁も認定し、鉱業権をもった企業への裁判もあった。
西淀川公害訴訟
大阪市西淀川区の工場建設の増加による硫黄酸化物などの排出や交通量増加による排ガスによる公害病。第1-4次にわたる訴訟により延べ726人が原告となった日本最大の公害訴訟。
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