AH Japan検索

カスタム検索

2011年3月4日金曜日

アーユルベーダ@東洋医学

アーユルベーダは?

ヨガ、気功、ツボなど、東洋医学のひとつだ・・・

これらは、一般的に、ホリスティック医学と呼ばれる

全身医学?

マクロ経済 <-> ミクロ経済

wholistic
【形】=<→holistic>

holistic
【形】全体(論)的な、総体的な



4/25/2009


東洋医学とホリスティック医学

東洋医学は、体全体の働きやバランスの調整を図る。


予防医学や、慢性病の治療など、時間をかけて行う医療に向いている。






○東洋医学の格言


「医食同源」


「病は気から」


「毒と薬は紙一重」


「病は患者が治すものである」




○チベット医学


チベット医学の5大元素は、地、水、火、風、空


ルン 風 青色


ティーパ 火 黄色


ペーケン 地、水 白色


ルンは、人間の体の動きそのもの、血液の循環、呼吸、つばを吐く、喋る、考えごとをする、消化と排泄作用、月経や妊娠などを司る働きがある。さらに手足を伸ばすことなどもルンの働き。辛かったり悲しかったり、意気消沈したりすると、こころに深く作用し、体の中にあるルンが増大する。ルンの増大が原因で、バランスが壊れ、ルンと関係がある五臓六腑を攻撃する。


ティーパは、体の中で熱を作り出す。血の色、体液の色、あらゆる色を作る。ティーパが活発に活動すると勇気や自信が湧く。


ペーケンは、体の安定を保ち、睡眠の調整、体の湿った部分、関節の働きなどをよくする。




○ホリスティック医学




西洋医学は、病因を発見して、それをターゲットにして、集中的に治療する。




東洋医学を西洋医学的な観点から見たものを、ホリスティック医学と呼ぶ。


カイロプラクティック、オステオパシーなど・・・




・オステオパシー


病気とは疾患部だけでおこっているわけではありません。身体全体の様々な個所の少しずつの歪(歪み)、制限が繋がって大きくなり ひょっこり顔をだしたところが疾患部です。


疾患部だけ調べても解決できない病気のほうがはるかに多いのです。


オステオパシーの施術は、まず身体全体の歪、制限を調べその繋がりを解きほぐすことで、人間自らが持つ自然治癒力を大きく回復します。


病気はあなた自身が治します オステオパシー医は、その経験と技術と知識のもとに快癒へのナビゲーターの役目を果たします。


JOF Japan Osteopathic Federationのホームページより


http://www.osteopathy.gr.jp/osteopathy/index.html


・ホメオパシー


今から200年前にドイツの医師ハーネマンがその生涯をかけて確立させた療法で、その起源は古代ギリシャのヒポクラテスまでさかのぼることができます。
ホメオパシーは同種療法あるいは類似療法と訳されている通り、「症状を起こすものは、その症状を取り去るものになる」という「同種の法則」が根本原則になっています。
ハーネマンはこの「同種の法則」に、症状を起こすものを非常に薄めて使うことにより、体に悪影響を与えることなく、症状だけを取っていくものとなるという「超微量の法則」を打ち建て、安全で体にやさしく常習性を持たないホメオパシー療法を完成させました。
ホメオパシーでは症状を抑圧するのではなく、症状を出し切れるように後押しします。そうして初めて心身ともに健康になると考えます。 私達の心や細胞が抱える不自然なパターンを解放し、体の芯から健康を取り戻す自然療法、それがホメオパシーです。


Homeopathy Japan Coのホームページより


http://www.homoeopathy.co.jp/




・分子整合医学


『栄養革命』分子整合医学 A・ホッファー&M・ウォーカー 小幡美恵子訳




もしかしたら、この本は西洋医学と東洋医学の薬学的な架け橋になるかも?




---Wikipedia


ライナス・カール・ポーリング(Linus Carl Pauling, 1901年2月28日 – 1994年8月19日)は、アメリカ合衆国の量子化学者、生化学者。彼自身は結晶学者、分子生物学者、医療研究者とも自称していた。20世紀における最も重要な化学者として広く認められている。量子力学を化学に応用した先駆者であり(原理上、量子力学は化学と分子生物学の全情報を記述出来る)、化学結合の本性を記述した業績により1954年にノーベル化学賞を受賞した。また、結晶構造決定やタンパク質構造決定に重要な業績を残し、分子生物学の祖の一人とされる。ワトソンとクリックが1953年にDNAの超微細構造である「二重らせん」を発見した時に、ポーリングはほぼそれに近い形を発見していた。多方面に渡る研究者としても有名で、量子力学と分子生物学に加え、無機化学、有機化学、金属学、免疫学、麻酔学、心理学、弁論術、放射性崩壊、原水爆戦争の影響などを究めた。


1962年、地上核実験に対する反対運動の業績によりノーベル平和賞を受賞した。ポーリングは他の人物と共有せずにノーベル賞を2度受賞した唯一の人物である。他にノーベル賞を2度受賞した人物は、マリ・キュリー(物理学賞と化学賞)、ジョン・バーディーン(物理学賞を2回)、フレデリック・サンガー(化学賞を2回)である。後年、大量のビタミンCや他の栄養素を摂取する健康法を提唱し、更にこの着想を一般化させて分子矯正医学を提唱した。分子矯正医学は現代でも伝統的な医学から非正統的と看做されている。ビタミンCと分子矯正医学を中心とした何冊かの本を著し、作中でこれらの概念、分析、研究、及び洞察を一般社会に紹介した。




臨床医学におけるビタミン治療の研究




所蔵:米国国立医学図書館
1941年、40歳だったポーリングはブライト病と呼ばれる重い腎臓病と診断された。当時の専門家達はブライト病が不治の病であると信じていた。ポーリングはスタンフォード大学のトーマス・アディスの助力を受け、低タンパク無塩食という当時としては奇抜な方法で病気を抑制することが出来た。アディスは自分の全患者にビタミンとミネラルを処方していた。


1951年、ポーリングは「分子医学 Molecular Medicine」と題した講演を行った。[14]1950年代末、ポーリングは精神疾患の原因の一つに酵素の機能障害があるのではないかと疑い、脳機能における酵素の役割を研究していた。ビタミンが欠乏症予防以外に重要な生化学的効果を持つ可能性に気が付いたのは、ポーリングが1965年にエーブラム・ホッファー著「精神医学におけるナイアシン療法」を読んだ時のことであった。1968年、ポーリングはサイエンス誌(PMID 5641253)に「分子矯正精神医学」(「orthomolecular medicine」)と題した簡単な論文を書き、1970年代に流行し物議を醸したビタミン大量療法運動の原理を与えた。ポーリングの造語である分子矯正(orthomolecular)とは、病気の抑制や治療の際に体内物質の濃度を操作する手法を意味する。この概念が中核を担っている分子矯正医学は、今日でも一部を除き効果的な治療法として未だ科学的な立証は進んでおらず、強い批判を浴びることもある。[15][16][17]


ポーリングが後年に行ったビタミンCの研究は論議を呼び、最初は一部の医療専門家から似非療法と看做された[18]。1966年にポーリングは生化学者のアーウィン・ストーンから高用量ビタミンCの概念を知り、風邪の予防のために毎日数グラムのビタミンを摂り始めた。その効果に興奮したポーリングは臨床文献を調査し、1970年に「ビタミンCと感冒」を発表した。1970年、ポーリングはイギリスの癌外科医ユアン・キャメロンと長期間の臨床協力を開始し、末期癌患者の治療にビタミンCを点滴及び経口投与した[19]。キャメロンとポーリングは多くの論文のほか、彼らの研究成果を扱った一般書「癌とビタミンC」を執筆した。Moertelらがメイヨー・クリニックでプロスペクティブ試験、無作為化試験、プラセボ対照試験を3回に渡り行ったが全て失敗し、超高用量のビタミンCの投与が癌の患者に効果があるという証明は得られなかった[20]。これに対しポーリングは Moertel が出した結論と最後の試験の取り扱いについて「詐欺にして意図的な誤りである」と公然に非難した[21][22]。ポーリングは未公表だった試験の詳細を少しずつ暴き、数年後に2回目のMoertelの癌試験の不備についての批判を発表したが[23]、彼の傷ついた名声を翻すことは出来なかった[24]。このMoertelとの確執が生んだ悪い評判は、ポーリングと彼のビタミンC研究の信用を低下させた。ポーリングの反論も空しく、この3回の臨床試験の結果は癌治療での高用量のビタミンCの効用に反対論を与えた[25]。ポーリングは1950年代の地上核実験の撤廃活動以来常に危険と隣り合わせの状態だったが[26]、この1985年のMoertelとの対立により、彼は機関資金源や学術的な支援、一般社会の評判を失った。その後、ポーリングはカナダ人医師のエーブラム・ホッファー[27]と共同で高用量ビタミンCを含む補助癌治療としての微量栄養素の投薬に関する研究を行った。


彼の死後10年以上を経た2006年、高用量ビタミンCの効能に関する新事実がカナダの研究グループによって提示された。同グループは、高用量ビタミンCを点滴投与した3人の患者が予想よりも長く生存していたことを確認した[28]。また、同グループは新たな第I相臨床試験を予定していると報道された[29]。事例報告データと臨床前情報を組み合わせは、臨床効果の生物学的妥当性及び可能性を示唆している。今後の臨床試験では、癌患者に対する静脈内高用量ビタミンC治療の実用性と安全性の究明が最終的な課題となっている。なおすでに、高用量ビタミンCの点滴投与は患者に重要な毒性を与えることが分かっており、腎不全や下痢などの副作用は十分に立証されている[30]。


一方、ビタミンCの癌細胞への選択毒性も、2005年に in vitro (ペトリ皿を使用した細胞培養)で実証され、米国科学アカデミー紀要に報告されている[31]。


1973年、ポーリングは2人の研究者と共にカリフォルニア州のメンロパークに分子矯正医学研究所を設立、間もなくしてライナス・ポーリング科学医学研究所に改称した。ポーリングはビタミンC研究の指揮を執ったが、化学や物理の理論的研究も1994年に前立腺癌で死去するまで続けた。晩年、アテローム性動脈硬化症予防で推測されるビタミンCの働きに興味を持ち、狭心症治療におけるリシンとビタミンCの使用に関する3本の事例報告を発表した。1996年、ライナス・ポーリング研究所がカリフォルニア州パロ・アルトからオレゴン州コーバリスに移転し、オレゴン州立大学の一機関になった。現在でも疾病予防及び治療に用いる微量栄養素やフィトケミカル(植物由来の化学物質)、その他の食事成分の研究を続けている。






青柳洋介

0 件のコメント:

コメントを投稿