覇者、覇者、はしゃぎすぎだよ、早稲田君
5/23/2009
剣道二段
通常、プロフィールなどに、剣道二段と書けば、公式の二段だと判断する。
よって、剣道二段(自称)と記すべき。
日本で、武道の段位は、ある意味で、オフィシャルなもの。
誤解を避けるためにも、自称という冠を付けるべきである。
と、個人的には思います。
父親が亡くなった時、浄土真宗の坊主が調髪で、僕が丸刈りだったので、冗談で、どっちが坊主か分からない・・・
と言うと、その坊主は
「自称だろ」
と言った。
そりゃ、そうです。自称坊主、なおかつ、生臭坊主です、と言っておいた、笑い
森田健作さん(フジテレビ)
かをり V.S. 健作
のタイトルマッチ、楽しみにしています。
無所属問題、剣道の段位問題、、、
公人は、やはり、正確な情報を出したほうがベターです。
それは、それとして、
近産、近消 つまり、首都圏の台所へ、食料の供給お願いします。
よろしく・・・
Aoyagi YoSuKe
楽天公認ファン(日テレ)
僕は、自称ライオンズファン。とくに、鉄腕稲尾のファンである。
日本シリーズで、ジャイアンツに3連敗した後で、鉄腕稲尾は4連投して、4連勝。
逆転ニッポン一。この快挙こそ、ライオンズファンのシンボルだ~~~
西鉄ライオンズ、クラウンライター・ライオンズ、太平洋クラブ・ライオンズ、西武ライオンズ
つまり、ライオンズは不滅だ~~~
参考)
眞鍋かをりのプロフィール
1981年3月31日生まれ。横浜国立大学卒業。H165/B84/W55/H85。
趣味はパソコン、料理。特技は剣道。
テレビNTV系/「爆笑問題のススメ」、NHK系/「サイエンスZERO」、CTV系/「WAKU☆WAKU」をはじめ、ラジオJOQR/「ライオン レレレのレ」にレギュラー出演中。
ドラマや映画でも活躍中。写真集「Kawori」(発売元:ワニブックス)ほか多数
提案)男女剣道タイトルマッチ
かをり V.S. 健作
特技・剣道と、自称・剣道二段とどちらが強いか?
興味津津である・・・
眞鍋かをりのプロフィールは面白い。
1981年3月31日・・・生まれ
1981年4月1日 僕の新社会人1年生の入社式だった・・・
眞鍋かをりが生まれる頃、つまり、1981年3月28日~31日は?
自衛隊の東富士演習場?のそばで、新入社員事前研修が行われていた。
この辺鄙な場所の意味は? 逃亡厳禁! 隔離する~~~
そして、大学の卒業式がたしか28日だった。卒業式に出席せずに、社会人入隊式に出席した・・・
人によっては、卒業式に出て、その後、入隊式に合流した者もいた。
僕は卒業式よりも、入隊式を優先させた・・・
そして、入隊式の前に、父親が上京してきた。最後の援助をお願いした。革靴とネクタイを買ってもらった。
そして、僕は入隊式へ、父親が代理で、卒業式に出て、卒業証書を受け取った。
それ以来、父親からは、びた一文援助してもらっていない。
その父親も、去年の11月15日に亡くなった。
お疲れさまでした~~~ 不肖の息子に対する長いご支援ありがとうございました。
おそらく、今は、天神さまのお守りを携えて、極楽でのんびり暮らしているだろう・・・
なお、僕は卒業証書を一度も目にしていない。よって、退社して、人生の転機なので、
早稲田大学・理工学部退学証明書、東京大学・物理工学科・卒業証明書を入手した。
世の中、偽証や、偽装が多発しているので、正式な証明書を入手した。
両大学とも、きちんと、在学履歴を管理している。証明書に記してある事実に誤りなし・・・
さすが、官学の雄と、私学の雄である・・・
両雄、そろい踏み・・・ ただし、早稲田大学には1年しか在籍しなかった。
が、神宮の早慶戦で、早稲田魂をもらった。歌舞伎町で、どんちゃん騒ぎ~~~
なお、五木寛之の『青春の門』を片手に、憧れの早稲田へ・・・ 18歳の春・・・
青春の門は1年で卒業して、シティ・ボーイの吉行淳之介に鞍替えした・・・
筑紫さんへのレクイエム・・・
筑紫さんの誕生日は、僕の1日後、命日は、父親の1週間前・・・
筑紫さんががんの治療中のとき、僕のがん体験の手紙を、ニュース23の担当者を通じて渡してもらった。
治療のかいなく、他界・・・
お疲れさまでした。
---Wikipedia
筑紫 哲也(ちくし てつや、1935年6月23日 - 2008年11月7日)は日本のニュースキャスター、ジャーナリスト。朝日新聞社記者、朝日ジャーナル編集長、TBS 「News23」キャスターを務める。 大分県日田市出身。
来歴
東京都立小山台高等学校卒業後、早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業。在学中は合唱団「グリークラブ」に所属。朝日新聞社に入社後は政治部記者、返還前の琉球(沖縄)特派員、ワシントン特派員、外報部次長、編集委員などを歴任。政治部時代には内閣総理大臣三木武夫の番記者を務め、自民党ハト派の人脈と親交を深めた。
(出典)
http://www.waseda.jp/honjo/honjo/ouen/song.html
「早稲田大学校歌」
作詞・相馬御風 作曲・東儀鉄笛
一
都の西北 早稲田の森に 聳ゆる甍 われらが母校
われらが日ごろの抱負を知るや 進取の精神 学の独立
現世を忘れぬ 久遠の理想 かがやくわれらが行手を見よや
わせだ わせだ わせだ わせだ わせだ わせだ わせだ
二
東西古今の文化のうしほ 一つに渦巻く 大島国の
大なる使命を 担ひて立てる われらが行手は 窮り知らず
やがても久遠の 理想の影は あまねく天下に輝き布かん
わせだ わせだ わせだ わせだ わせだ わせだ わせだ
三
あれ見よかしこの 常盤の森は 心のふるさと われらが母校
集まり散じて 人は変れど 仰ぐは同じき 理想の光
いざ声そろへて 空もとどろに われらが母校の名をばたたへん
わせだ わせだ わせだ わせだ わせだ わせだ わせだ
今ではカレッジソングの世界的名歌として、その名を知らぬ者はいないと言って過言ではないでしょう。
坪内逍遥も絶賛した相馬御風の歌詞と東儀鉄笛が一生一代の仕事として制作した曲が組み合わさり、校歌として早稲田大学の創立二十五周年にあたる明治四十年十月に制定されました。また、第三節の「心の故郷」等の句や「早稲田、早稲田、早稲田」のエールを各節の終わりに付け加えたのは逍遥自身であったそうであります。
この歌を手を掲げて歌ってこそ真の早稲田の一員として認められるのであります。我らが本庄高等学院でも行事等では必ず歌われ、学院生一同は改めて早稲田の一員であることを思い起こすのであります。
「紺碧の空」
作詞・住 治男 作曲・古関裕而
一
紺碧の空 仰ぐ日輪 光輝あまねき 伝統のもと
すぐりし精鋭 闘志は燃えて 理想の王座を占むる者 われ等
早稲田 早稲田 覇者 覇者 早稲田
二
青春の時 望む栄光 威力敵無き 精華の誇
見よこの陣頭 歓喜あふれて 理想の王座を占むる者 われ等
早稲田 早稲田 覇者 覇者 早稲田
この應援歌「紺碧の空」は昭和六年に慶應の「若き血」に対抗して作られ、その年の早慶戦でデビューして以来、早稲田の誇る天下無双の名應援歌として、現在に至るまで早稲田大学第一應援歌に君臨しているので御座います。
その勇敢かつ軽快なメロディーが、一度学院内に響き渡る時の学院生の起爆力は、浅間山噴火の威力を大きく上回ると言われております。
なお、以下は知りませんが、早稲田の魂を表現しているのだと思います。WASEDA DNA
「早稲田の栄光」
作詞・岩崎 巌 作曲・芥川也寸志
一
栄光はみどりの風に 花ひらく若き日の歌
重ね来し 歴史尊く 承け継ぎて輝く早稲田
早稲田 早稲田 我らの早稲田
(二・三番 略)
四
先哲の面影偲ぶ なつかしき真理の杜を
彩るは 七色の虹 とこしえに輝く 早稲田
早稲田 早稲田 我らの早稲田
早稲田 早稲田 我らの早稲田
この「早稲田の栄光」は早稲田大学の創立70周年記念歌として作られ、すべての早稲田人の心の琴線に触れる名曲であり、この歌を歌うとき、人は感激にわれ知らず頬を濡らすと言われております。
大学では、早慶戦に勝ったときにだけ肩を組んで歌われますが、学院では各行事には欠かせない一曲となっております。
「早稲田健児」
作詞・青島幸男 作曲・渡辺晋一
一
それ起て 勇気を出そう 敵をおそれるな
奮い起て 早稲田健児の 若さのかぎり
今ぞ示そう われらの力
早稲田の力 情けは無用
それぶっつぶせ ぶっつぶせ 叩きつぶせ
ガンバレ ガンバレ ワセダ ワセダ ワセダ
ガンバレ ガンバレ ワセダ 早稲田の健児
この應援歌「早稲田健児」は、作詞は何とあの元東京都知事の青島幸男氏。その軽快なメロディーにより早稲田は波に乗り、「ぶっつぶせ、叩きつぶせ」の歌詞の如く敵を完膚なきまでに粉砕するのでございます。
「ひかる青雲」
作詞・岩崎 巌 作曲・古関裕而
一
ひかる青雲 風さえ香る 若き生命の 歓喜の調べ
勝鬨あげて 手を打って 早稲田の幸を 歌おうよ
早稲田 早稲田 早稲田 早稲田
(二番 口笛 三番 略)
四
希望の杜かげ みどりの夢よ 競う青春 誇りの歌よ
慶応倒し 意気あげて この喜びを 歌おうよ
早稲田 早稲田 早稲田 早稲田
昭和二十二年に戦後第一号の應援歌として、慶應の「我ぞ覇者」に対抗して作られた名曲なのであります。
應援歌としては、ゆっくりなテンポながらも早稲田の誇りを高々と歌い上げたその歌詞により、一度歌えば、空は晴天となり、早稲田に勝利をもたらすと言われております。
「Viva Waseda」
作詞・牛島 芳 作曲・石黒寿和
ビバ ワセダ ビバビバ ワセダ
ビバ ワセダ ビバビバ ワセダ
ナインの闘志 たぎる ああよろこびを歌おうよ
われらのファイトもえて さあ感激を 歌おうよ
ビバ ワセダ ビバビバ ワセダ
ビバ ワセダ ビバビバ ワセダ
オー
早稲田の應援を印象付ける一曲でもあるこの「Viva Waseda」。
学院では、應援曲メドレーとセットで行なわれることが多く、学院生にとっておなじみの曲となっていのであります。
「早慶讃歌-花の早慶戦-」
作詞・藤浦 洸 作曲・古関裕而
一
讃えよう 声高らかに 輝く英知の 青空の
若い生命の 太陽を おお旺んなる 若人の時
情熱ここに 燃えさかる おお花の早慶戦
熱き心の若人 われら レッツゴー
二
謳おうよ 生命の限り 城北の森は みどり濃く
城南の丘に 風清き おおさわやかな 若人の歌
ふたつの校旗 あざやかに おお花の早慶戦
熱き心の若人 われら レッツゴー
おお花の早慶戦 熱き心の若人 われら レッツゴー
早慶戦の人気が低迷した昭和四十年代、早慶の應援部幹部などにより「早慶戦の意義・重要性を思い起こさせる」また、「両校の学生が一つにまとまり歌える歌」として誕生したのであります。現在でも早慶戦では両校友好の証として歌い継がれております。
学院では、稲稜祭時に慶應義塾高等学校應援指導部よりお借りした、中旗を使い、良き友であり良きライバルである慶應との友好を称えているのであります。
「人生劇場」
作詞・尾崎士郎 作曲・古賀政男
一
やると思えば どこまでやるさ それが男の魂じゃないか
義理がすたれば この世は闇だ なまじとめるな 夜の雨
二
あんな女に 未練はないが なぜか涙が 流れてならぬ
男ごころは 男でなけりゃ わかるものかと あきらめた
三
時世時節は 変わろとままよ 吉良の仁吉は 男じゃないか
おれも生きたや 仁吉のように 義理と人情の この世界
四
端役者の 俺ではあるが 早稲田に学んで 波風受けて
行くぞ男の この花道を 人生劇場 いざ序幕
早稲田所縁の歌謡曲であり、早稲田を舞台に見立てた、尾崎士郎の名作、人生劇場のテーマ曲として有名で御座います。また、早稲田人の心意気を示す第二校歌とも言われております。
そして、原曲には存在しない4番は早稲田の学生が作り、歌い継がれてきたものであり、古き良き、早稲田の精神を見事に歌い上げた一曲であります。
「おお早稲田」
作詞・風間益人 作曲・中村 忍
一
早稲田の魂 闘志 満ちて たぎる 若き生命(いのち)の みなぎる力
いざ(いざ)肩をくみ 我等が早稲田の栄光を勝ちとろう
勝つぞ! 勝つぞ! 早稲田! 我等 早稲田!
二
早稲田の杜に みどり 溢れ 燃ゆる 奮い立つ息吹は 勝利の誓い
いざ(いざ)手を挙げて 我等が早稲田の栄冠をかかげよう
進め! 進め! 早稲田! 我等 早稲田!
三
早稲田の風に 自由 育て 翔(か)ける 青春の栄光 歓喜の涙
いざ(いざ)誇らかに 我等が早稲田の勝鬨(かちどき)をあげよう
吼えよ! 吼えよ! 早稲田! 我等 早稲田!
おお!
この應援歌「おお早稲田」は作詞:風間益人先生と作曲:中村忍先生で作られた、早稲田大学本庄高等学院初の完全オリジナルの應援歌なので御座います。
その爽快なメロディーと力強い歌詞で学院生は歓喜の渦に巻き込まれるのであります。
よって、剣道二段(自称)と記すべき。
日本で、武道の段位は、ある意味で、オフィシャルなもの。
誤解を避けるためにも、自称という冠を付けるべきである。
と、個人的には思います。
父親が亡くなった時、浄土真宗の坊主が調髪で、僕が丸刈りだったので、冗談で、どっちが坊主か分からない・・・
と言うと、その坊主は
「自称だろ」
と言った。
そりゃ、そうです。自称坊主、なおかつ、生臭坊主です、と言っておいた、笑い
森田健作さん(フジテレビ)
かをり V.S. 健作
のタイトルマッチ、楽しみにしています。
無所属問題、剣道の段位問題、、、
公人は、やはり、正確な情報を出したほうがベターです。
それは、それとして、
近産、近消 つまり、首都圏の台所へ、食料の供給お願いします。
よろしく・・・
Aoyagi YoSuKe
楽天公認ファン(日テレ)
僕は、自称ライオンズファン。とくに、鉄腕稲尾のファンである。
日本シリーズで、ジャイアンツに3連敗した後で、鉄腕稲尾は4連投して、4連勝。
逆転ニッポン一。この快挙こそ、ライオンズファンのシンボルだ~~~
西鉄ライオンズ、クラウンライター・ライオンズ、太平洋クラブ・ライオンズ、西武ライオンズ
つまり、ライオンズは不滅だ~~~
参考)
眞鍋かをりのプロフィール
1981年3月31日生まれ。横浜国立大学卒業。H165/B84/W55/H85。
趣味はパソコン、料理。特技は剣道。
テレビNTV系/「爆笑問題のススメ」、NHK系/「サイエンスZERO」、CTV系/「WAKU☆WAKU」をはじめ、ラジオJOQR/「ライオン レレレのレ」にレギュラー出演中。
ドラマや映画でも活躍中。写真集「Kawori」(発売元:ワニブックス)ほか多数
提案)男女剣道タイトルマッチ
かをり V.S. 健作
特技・剣道と、自称・剣道二段とどちらが強いか?
興味津津である・・・
眞鍋かをりのプロフィールは面白い。
1981年3月31日・・・生まれ
1981年4月1日 僕の新社会人1年生の入社式だった・・・
眞鍋かをりが生まれる頃、つまり、1981年3月28日~31日は?
自衛隊の東富士演習場?のそばで、新入社員事前研修が行われていた。
この辺鄙な場所の意味は? 逃亡厳禁! 隔離する~~~
そして、大学の卒業式がたしか28日だった。卒業式に出席せずに、社会人入隊式に出席した・・・
人によっては、卒業式に出て、その後、入隊式に合流した者もいた。
僕は卒業式よりも、入隊式を優先させた・・・
そして、入隊式の前に、父親が上京してきた。最後の援助をお願いした。革靴とネクタイを買ってもらった。
そして、僕は入隊式へ、父親が代理で、卒業式に出て、卒業証書を受け取った。
それ以来、父親からは、びた一文援助してもらっていない。
その父親も、去年の11月15日に亡くなった。
お疲れさまでした~~~ 不肖の息子に対する長いご支援ありがとうございました。
おそらく、今は、天神さまのお守りを携えて、極楽でのんびり暮らしているだろう・・・
なお、僕は卒業証書を一度も目にしていない。よって、退社して、人生の転機なので、
早稲田大学・理工学部退学証明書、東京大学・物理工学科・卒業証明書を入手した。
世の中、偽証や、偽装が多発しているので、正式な証明書を入手した。
両大学とも、きちんと、在学履歴を管理している。証明書に記してある事実に誤りなし・・・
さすが、官学の雄と、私学の雄である・・・
両雄、そろい踏み・・・ ただし、早稲田大学には1年しか在籍しなかった。
が、神宮の早慶戦で、早稲田魂をもらった。歌舞伎町で、どんちゃん騒ぎ~~~
なお、五木寛之の『青春の門』を片手に、憧れの早稲田へ・・・ 18歳の春・・・
青春の門は1年で卒業して、シティ・ボーイの吉行淳之介に鞍替えした・・・
筑紫さんへのレクイエム・・・
筑紫さんの誕生日は、僕の1日後、命日は、父親の1週間前・・・
筑紫さんががんの治療中のとき、僕のがん体験の手紙を、ニュース23の担当者を通じて渡してもらった。
治療のかいなく、他界・・・
お疲れさまでした。
---Wikipedia
筑紫 哲也(ちくし てつや、1935年6月23日 - 2008年11月7日)は日本のニュースキャスター、ジャーナリスト。朝日新聞社記者、朝日ジャーナル編集長、TBS 「News23」キャスターを務める。 大分県日田市出身。
来歴
東京都立小山台高等学校卒業後、早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業。在学中は合唱団「グリークラブ」に所属。朝日新聞社に入社後は政治部記者、返還前の琉球(沖縄)特派員、ワシントン特派員、外報部次長、編集委員などを歴任。政治部時代には内閣総理大臣三木武夫の番記者を務め、自民党ハト派の人脈と親交を深めた。
(出典)
http://www.waseda.jp/honjo/honjo/ouen/song.html
「早稲田大学校歌」
作詞・相馬御風 作曲・東儀鉄笛
一
都の西北 早稲田の森に 聳ゆる甍 われらが母校
われらが日ごろの抱負を知るや 進取の精神 学の独立
現世を忘れぬ 久遠の理想 かがやくわれらが行手を見よや
わせだ わせだ わせだ わせだ わせだ わせだ わせだ
二
東西古今の文化のうしほ 一つに渦巻く 大島国の
大なる使命を 担ひて立てる われらが行手は 窮り知らず
やがても久遠の 理想の影は あまねく天下に輝き布かん
わせだ わせだ わせだ わせだ わせだ わせだ わせだ
三
あれ見よかしこの 常盤の森は 心のふるさと われらが母校
集まり散じて 人は変れど 仰ぐは同じき 理想の光
いざ声そろへて 空もとどろに われらが母校の名をばたたへん
わせだ わせだ わせだ わせだ わせだ わせだ わせだ
今ではカレッジソングの世界的名歌として、その名を知らぬ者はいないと言って過言ではないでしょう。
坪内逍遥も絶賛した相馬御風の歌詞と東儀鉄笛が一生一代の仕事として制作した曲が組み合わさり、校歌として早稲田大学の創立二十五周年にあたる明治四十年十月に制定されました。また、第三節の「心の故郷」等の句や「早稲田、早稲田、早稲田」のエールを各節の終わりに付け加えたのは逍遥自身であったそうであります。
この歌を手を掲げて歌ってこそ真の早稲田の一員として認められるのであります。我らが本庄高等学院でも行事等では必ず歌われ、学院生一同は改めて早稲田の一員であることを思い起こすのであります。
「紺碧の空」
作詞・住 治男 作曲・古関裕而
一
紺碧の空 仰ぐ日輪 光輝あまねき 伝統のもと
すぐりし精鋭 闘志は燃えて 理想の王座を占むる者 われ等
早稲田 早稲田 覇者 覇者 早稲田
二
青春の時 望む栄光 威力敵無き 精華の誇
見よこの陣頭 歓喜あふれて 理想の王座を占むる者 われ等
早稲田 早稲田 覇者 覇者 早稲田
この應援歌「紺碧の空」は昭和六年に慶應の「若き血」に対抗して作られ、その年の早慶戦でデビューして以来、早稲田の誇る天下無双の名應援歌として、現在に至るまで早稲田大学第一應援歌に君臨しているので御座います。
その勇敢かつ軽快なメロディーが、一度学院内に響き渡る時の学院生の起爆力は、浅間山噴火の威力を大きく上回ると言われております。
なお、以下は知りませんが、早稲田の魂を表現しているのだと思います。WASEDA DNA
「早稲田の栄光」
作詞・岩崎 巌 作曲・芥川也寸志
一
栄光はみどりの風に 花ひらく若き日の歌
重ね来し 歴史尊く 承け継ぎて輝く早稲田
早稲田 早稲田 我らの早稲田
(二・三番 略)
四
先哲の面影偲ぶ なつかしき真理の杜を
彩るは 七色の虹 とこしえに輝く 早稲田
早稲田 早稲田 我らの早稲田
早稲田 早稲田 我らの早稲田
この「早稲田の栄光」は早稲田大学の創立70周年記念歌として作られ、すべての早稲田人の心の琴線に触れる名曲であり、この歌を歌うとき、人は感激にわれ知らず頬を濡らすと言われております。
大学では、早慶戦に勝ったときにだけ肩を組んで歌われますが、学院では各行事には欠かせない一曲となっております。
「早稲田健児」
作詞・青島幸男 作曲・渡辺晋一
一
それ起て 勇気を出そう 敵をおそれるな
奮い起て 早稲田健児の 若さのかぎり
今ぞ示そう われらの力
早稲田の力 情けは無用
それぶっつぶせ ぶっつぶせ 叩きつぶせ
ガンバレ ガンバレ ワセダ ワセダ ワセダ
ガンバレ ガンバレ ワセダ 早稲田の健児
この應援歌「早稲田健児」は、作詞は何とあの元東京都知事の青島幸男氏。その軽快なメロディーにより早稲田は波に乗り、「ぶっつぶせ、叩きつぶせ」の歌詞の如く敵を完膚なきまでに粉砕するのでございます。
「ひかる青雲」
作詞・岩崎 巌 作曲・古関裕而
一
ひかる青雲 風さえ香る 若き生命の 歓喜の調べ
勝鬨あげて 手を打って 早稲田の幸を 歌おうよ
早稲田 早稲田 早稲田 早稲田
(二番 口笛 三番 略)
四
希望の杜かげ みどりの夢よ 競う青春 誇りの歌よ
慶応倒し 意気あげて この喜びを 歌おうよ
早稲田 早稲田 早稲田 早稲田
昭和二十二年に戦後第一号の應援歌として、慶應の「我ぞ覇者」に対抗して作られた名曲なのであります。
應援歌としては、ゆっくりなテンポながらも早稲田の誇りを高々と歌い上げたその歌詞により、一度歌えば、空は晴天となり、早稲田に勝利をもたらすと言われております。
「Viva Waseda」
作詞・牛島 芳 作曲・石黒寿和
ビバ ワセダ ビバビバ ワセダ
ビバ ワセダ ビバビバ ワセダ
ナインの闘志 たぎる ああよろこびを歌おうよ
われらのファイトもえて さあ感激を 歌おうよ
ビバ ワセダ ビバビバ ワセダ
ビバ ワセダ ビバビバ ワセダ
オー
早稲田の應援を印象付ける一曲でもあるこの「Viva Waseda」。
学院では、應援曲メドレーとセットで行なわれることが多く、学院生にとっておなじみの曲となっていのであります。
「早慶讃歌-花の早慶戦-」
作詞・藤浦 洸 作曲・古関裕而
一
讃えよう 声高らかに 輝く英知の 青空の
若い生命の 太陽を おお旺んなる 若人の時
情熱ここに 燃えさかる おお花の早慶戦
熱き心の若人 われら レッツゴー
二
謳おうよ 生命の限り 城北の森は みどり濃く
城南の丘に 風清き おおさわやかな 若人の歌
ふたつの校旗 あざやかに おお花の早慶戦
熱き心の若人 われら レッツゴー
おお花の早慶戦 熱き心の若人 われら レッツゴー
早慶戦の人気が低迷した昭和四十年代、早慶の應援部幹部などにより「早慶戦の意義・重要性を思い起こさせる」また、「両校の学生が一つにまとまり歌える歌」として誕生したのであります。現在でも早慶戦では両校友好の証として歌い継がれております。
学院では、稲稜祭時に慶應義塾高等学校應援指導部よりお借りした、中旗を使い、良き友であり良きライバルである慶應との友好を称えているのであります。
「人生劇場」
作詞・尾崎士郎 作曲・古賀政男
一
やると思えば どこまでやるさ それが男の魂じゃないか
義理がすたれば この世は闇だ なまじとめるな 夜の雨
二
あんな女に 未練はないが なぜか涙が 流れてならぬ
男ごころは 男でなけりゃ わかるものかと あきらめた
三
時世時節は 変わろとままよ 吉良の仁吉は 男じゃないか
おれも生きたや 仁吉のように 義理と人情の この世界
四
端役者の 俺ではあるが 早稲田に学んで 波風受けて
行くぞ男の この花道を 人生劇場 いざ序幕
早稲田所縁の歌謡曲であり、早稲田を舞台に見立てた、尾崎士郎の名作、人生劇場のテーマ曲として有名で御座います。また、早稲田人の心意気を示す第二校歌とも言われております。
そして、原曲には存在しない4番は早稲田の学生が作り、歌い継がれてきたものであり、古き良き、早稲田の精神を見事に歌い上げた一曲であります。
「おお早稲田」
作詞・風間益人 作曲・中村 忍
一
早稲田の魂 闘志 満ちて たぎる 若き生命(いのち)の みなぎる力
いざ(いざ)肩をくみ 我等が早稲田の栄光を勝ちとろう
勝つぞ! 勝つぞ! 早稲田! 我等 早稲田!
二
早稲田の杜に みどり 溢れ 燃ゆる 奮い立つ息吹は 勝利の誓い
いざ(いざ)手を挙げて 我等が早稲田の栄冠をかかげよう
進め! 進め! 早稲田! 我等 早稲田!
三
早稲田の風に 自由 育て 翔(か)ける 青春の栄光 歓喜の涙
いざ(いざ)誇らかに 我等が早稲田の勝鬨(かちどき)をあげよう
吼えよ! 吼えよ! 早稲田! 我等 早稲田!
おお!
この應援歌「おお早稲田」は作詞:風間益人先生と作曲:中村忍先生で作られた、早稲田大学本庄高等学院初の完全オリジナルの應援歌なので御座います。
その爽快なメロディーと力強い歌詞で学院生は歓喜の渦に巻き込まれるのであります。
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