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2013年5月13日月曜日

蟻の女王、柳原白蓮


黒ダイヤにたかってきた蟻の女王、柳原白蓮



柳原 白蓮(やなぎわら びゃくれん、1885年(明治18年)10月15日 - 1967年(昭和42年)2月22日)は歌人。本名は燁子(あきこ)。大正三美人の1人。

父は柳原前光伯爵。母は前光の妾のひとりで、柳橋の芸妓となっていた、没落士族の娘[1]奥津りょう(通名:おりょう)。東京に生まれた。

大正天皇の生母である柳原愛子の姪で、大正天皇の従妹にあたる。

燁子は1911年(明治44年)、27歳で、52歳の九州一の炭坑王として財をなし、政友会の代議士であった伊藤鉱業社長・伊藤伝右衛門と再婚させられた。これは兄・義光が貴族院議員に出馬するため資金が必要だったことと、名門との関係を結びたかった伊藤の思惑が一致した[3]政略結婚と目されたが、当時のマスコミ(主に新聞)では片や名門華族、もう一方は飛ぶ鳥落とす勢いの炭鉱成金同士の結婚ということで“黄金結婚”と大いに祝福された。伊藤は飯塚市幸袋に敷地1500坪、建坪250坪の自宅があったが、さらに福岡市天神と別府市青山に屋根を銅で葺いた別邸(どちらも赤銅(あかがね)御殿と呼ばれた)を建て、燁子を迎え入れた。

こうして燁子は「筑紫の女王」と呼ばれるようになった。

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