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2011年1月24日月曜日

白鵬へ

柏鵬時代

柏戸が朝青龍

大鵬が白鵬


鵬龍時代は、夢と消えた・・・



白鵬“大鵬に並びうれしい”

1月23日 19時21分 twitterでつぶやく(クリックするとNHKサイトを離れます)
23日に千秋楽を迎えた大相撲初場所で優勝した白鵬は「場所前の稽古がよかった。場所中は体調が崩れたことがあったが、稽古でけがや病気を直すという先輩たちの教えを思い出しながら取り組んだ」と述べました。そのうえで、史上2位となる6場所連続優勝を達成し、横綱大鵬に並んだことについて、白鵬は「角界のおやじと慕っている人で『巨人・大鵬・卵焼き』と言われた大鵬さんに並ぶことができてうれしい」と話しました。また、千秋楽の朝に3人目の子どもが誕生したことに触れ、「終わってみればめでたいことばかりの場所だった。まずはゆっくり休みたい」と話していました。さらに、ことしの目標について白鵬は「横綱としての自分の責任を果たすだけで、残り5場所、ほかの力士たちを引っ張っていきたい」と抱負を語りました。

3/29/2009

横綱の品格は土俵入り・・・





朝青龍 雲龍型 (個人的には、金太郎型)

白鵬 不知火型 (個人的には、桃太郎型)

朝青龍は、力強い土俵入り、白鵬は大きな土俵入り

どちらも、十分に品格がある。立派である。

Wikipediaのこの写真では、

朝青龍は、今、まさに獲物に飛かかろうとしている鷹に見える

白鵬は、大空を旋回しながら、獲物を探している鷹に見える・・・


なお、僕が住んでいる近辺では、大昔、徳川吉宗が鷹狩りをしていたそうです・・・

今や、この近辺には、鷹は生息していないと思いますが・・・

こんなに大きくて、強そうな鷹だったら、とてもじゃないけど、狩るのは命がけになりそう、笑い


---Wikipedia
横綱土俵入り(よこづなどひょういり)とは、大相撲の横綱が本場所の幕内取組前や巡業先などで行う土俵入りである。土俵入りの型には雲龍型と不知火型がある。それぞれ10代横綱・雲龍久吉と11代横綱・不知火光右衛門の型が伝えられたものであるとされている。ただし実際には力士によって微妙に異なった型をもっている。また太刀山峯右エ門は現在で言う不知火型の土俵入りを行なっていたが「儂の土俵入りは横綱雲龍の型である」と言っていたため本来は名前が逆であるともいわれる。

横綱土俵入りは、幕内の土俵入りが終わった後で、露払いと太刀持ちの各1名、合計2力士を従えて行う。この役は通常横綱と同じ部屋で、地位が関脇以下の兄弟弟子の力士が務めている(本来は大関でもよいが、大関が務めたケースは、本場所では大鵬幸喜の太刀持ちを大麒麟將能が務めたくらいである)。なお、原則的に幕内力士でなければならないため、同部屋の幕内力士がいない場合は一門から借りる事が殆どであるが、まれに一門外から選ぶ場合もある(例:九重部屋の千代の富士が熊ヶ谷部屋の高望山、東関部屋の曙が友綱部屋の魁皇など、それぞれ起用したケースがある)。また露払と太刀持は、たとえ幕内力士でも大銀杏を結えないと務めることができない(幕下付出で髪が伸びないうちに幕内に上がった場合。最近の例は雅山、高見盛=入幕1場所目のみ、など)。
土俵入りでは、概ね柏手を打ち、四股を踏み、せり上がった後再び四股を踏む。四股を踏むときには観客から「よいしょ」と掛け声が飛ぶ。
露払いや太刀持ちでも部屋が異なれば、横綱と対戦することがある。その場合、当日は横綱土俵入りを憚り、別の力士を従える。通常の露払いと太刀持ちの間で対戦がある日もどちらかが外れる。

雲龍型
せり上がるときに左手を胸のあたりに当て右手を伸ばす。多くの横綱がこちらを選択している。明治時代の二代・梅ヶ谷藤太郎が完成したとされる。大正時代の大横綱栃木山や、昭和の大横綱と言われた双葉山・大鵬・北の湖・千代の富士らは全てこの雲龍型である。平成以降に誕生した横綱では曙・貴乃花・武蔵丸・朝青龍が雲龍型だが、この4人の横綱は全て幕内優勝を10回以上果たし、また横綱の地位を4年以上にわたって務めている。横綱として長く大いに活躍出来る型と言われているが、中には横綱在位場所数最短の前田山(6場所)と2位タイの三重ノ海(8場所)など、雲竜型を選択していながら短命に終わった横綱も多からず存在する。なお、出羽海一門と高砂一門および時津風一門の横綱は、すべてこの型である。


不知火型
せり上がるときに両手を伸ばす。太刀山が16代木村庄之助より習った型とされる。大正初期に最強を誇った太刀山の他、昭和前期の当時史上最長在位記録を樹立した羽黒山がこの型を選択している。堂々とした迫力のあるスタイルにはファンは多い。だが、この型を選んだ横綱吉葉山の横綱昇進が33歳と高齢ながらもその後4年勤めたにも拘わらず、これを記者が玉の海の昇進の際に勘違いして「不知火型は短命」と表現[1]、不幸にも玉の海が在位中に夭逝した事により、不吉とされる事が多くなってしまった。また、一度も優勝せずに廃業した双羽黒の印象もあって、力士達にはあまり人気があるとは言えない。琴櫻と隆の里は横綱昇進当時既に30歳を過ぎていたが、後継者が少なかったことと、型の継承のためにあえて不知火型を選んだとされる。それでも史上3番目の若さで横綱昇進を果たした白鵬が不知火型を選び、この悪いイメージの払拭へ期待がかかる。ちなみに羽黒山以降の不知火型横綱はいずれも二所ノ関一門か立浪一門の部屋所属である(太刀山も立浪一門の源流といえる友綱部屋出身であり、二所ノ関部屋創設の海山太郎の弟弟子でもある)。平成以降に誕生した横綱では白鵬の他に、旭富士・3代若乃花の3人が不知火型。なお、1971年の夏巡業中、玉の海の急病により別の班で巡業していた北の富士が駆けつけた際、雲竜型の綱が間に合わなかった為に、北の富士が急遽代役として玉の海の綱を締め、不知火型の土俵入りを行ったことがある。

横綱の締め方は其々の型で異なり、雲龍型は輪が一つ、不知火型は輪が二つできるように締める。このため、横綱力士の体格にもよるが、概して不知火型用の横綱は雲龍型用のそれより長く重い。
なお、雲龍型は攻守兼備、不知火型は激しい攻撃を表すという説が巷間信じられているが、これは10代秀ノ山(関脇笠置山)が、昭和初期に両者の違いについて説明を求められたとき、とっさに返答したものが後にもっともらしく流布したもので、根拠は特にない。

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