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2013年7月29日月曜日

限界ニッポン

限界ニッポン。コナミは取引先だった。

社員も生き残りがかかっているが、会社も生き残りがかかっている。どうしようにもならない・・・



 猛暑に見舞われた今月中旬、噴き出す汗をハンカチでふきながら、黒いスーツにネクタイ姿で都心のオフィス街を回る40代の元コナミ社員の姿があった。

 昨年末まで1年8カ月間、自宅にこもりっきりの生活だった。体調が回復し、今年1月から再就職活動を始めたが、焦りばかりがつのる。

 「『ブランク』がネックになっているのだろうか」

 面接にこぎつけても、「2年ほど経歴がないけれど、この間は何をしていたのか」と聞かれ、気まずくなることがしばしばある。「採用が決まっても、働き始めたらまた病気が再発するのではないか」。自分自身も不安が残ったままだ。

 コナミグループの中核会社でゲームソフトの開発をしていたが、2010年末、「キャリア開発センター」(現キャリア開発課)への異動を上司から突然、言われた。

 その後、人事担当者からの説明にさらにショックを受けた。異動先の職場が社内にあるのでなく、自宅で職探しをするのだという。「社内の仕事を探すなら、見つかるまでパチスロ工場の応援に行ってもらう。社外の仕事を探すなら、期間3カ月の契約社員で。ただし契約延長はありません」

 会社に残りたい一心で「パチスロ工場行き」を選んだが、仕事は中古パチスロ台の解体だった。電動ドライバーでひたすら部品を取り外す作業を続けた。そこは社員たちが「追い出し部屋」と呼ぶ部署だった。


http://www.asahi.com/business/update/0729/TKY201307290003.html

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