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2013年7月31日水曜日

伊勢佐木町

伊勢佐木町(いせざきちょう)は、神奈川県横浜市中区にある地名および商店街である。

昭和35年(1960年)頃から、砂利置き場であった横浜駅西口の本格的な大規模開発がはじまり、昭和45年(1970年)前後には、横浜駅エリアが横浜最大の繁華街としての地位を確立しはじめた。それにともない、伊勢佐木町の繁華街としての機能は徐々に低下し、現在では横浜駅エリアに大きく水をあけられている。

さらに、同じ横浜市中区の由緒ある繁華街である元町商店街、中華街に加え、1990年代に開発されたみなとみらい21エリアなどと比較しても集客力は大幅に低くなってしまっている。集客力が著しく低下した原因として、由緒ある老舗店の多くが閉店してしまい、代わりにパチンコ店・場外馬券場・ファストフード・ディスカウントストアなどが数多く出店し、客層が偏ると共に伊勢佐木町の個性が失われた事が指摘されている。

また、日本有数のドヤ街である寿町に比較的近く、風俗街である福富町や曙町とは隣接していることもあり、浮浪者、アジア系売春婦、客引きなどが目立つようになってきており、横浜市の問題地域とされている。

ただし、自動給水器の設置やカラータイル舗装、ウェルカムゲートのリニューアル[1]など、横浜の代表的商店街の地位を保つべく集客努力を重ねてきた。


方丈記

鴨長明




行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。』およそ物の心を知れりしよりこのかた、四十あまりの春秋をおくれる間に、世のふしぎを見ることやゝたびたびになりぬ。

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