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2011年2月11日金曜日

万里の長城@今昔物語

昔の万里の長城は?







今の万里の長城は?

東風の防波堤

チンタオ、上海、香港






---Wiki

万里の長城(ばんりのちょうじょう、万里长城 ワンリー チャンチョン Wanli Changcheng)は中華人民共和国にある城壁遺跡である。ユネスコ世界遺産(文化遺産)かつ新・世界七不思議。東端の遼寧省虎山から今まで東端とされていた河北省山海関に(以前はここから6,352kmとされていた)至り、西端の甘粛省嘉峪関まで総延長は8,851.8km(2009年4月18日中華人民共和国国家文物局発表による)。英語をはじめとする漢字文化圏以外の言語では、「(中国の大きな)壁」を意味する訳が充てられている。



一般に長城を作ったのは始皇帝だと認識されているが、現存している「万里の長城」の大部分は明代に作られたものである。戦国時代からなどは北の異民族に備えるために長城を建設していた。また北に備えるだけではなく戦国七雄の国境間にも長城が作られていた。始皇帝は中華を統一した後に中国の中にある長城は取り壊し、北に作られた長城を繋げて大長城としたのである。この時の長城は土製であり、や人が乗り越えられなければ良いということで、それほど高い城壁ではなかったという。また現在の物よりかなり北に位置し、その東端は朝鮮半島に及んだ。
前漢武帝匈奴を追って領土を拡張したことから、長城は西の玉門関まで拡張された。その後の五胡十六国時代に異民族の力が強くなり、北魏は南よりの現在の線に新しく長城を築いた。


俗説 [編集]

かつてはその長大さから「宇宙から肉眼で見える唯一の建造物」と言われ、中国の教科書にも掲載されていたが、実際には幅が細い上、周囲の色と区別が付きにくいため、視認するのはきわめて困難である。2003年に中国初の有人宇宙船神舟5号」に搭乗した楊利偉飛行士が、「『万里の長城』は見えなかった」と証言したため、中国の教科書からこの説は正式に削除された。
2004年には中国系アメリカ人リロイ・チャオ飛行士が国際宇宙ステーション(ISS)より180ミリ望遠レンズを付けたデジタルカメラで万里の長城を撮影することに成功したが、肉眼では見えなかったと証言している[1]

登録基準 [編集]

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
  • (i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの。
  • (ii) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、町並み計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または少なくとも稀な証拠となるもの。
  • (iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または景観の顕著な例。
  • (vi) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または、明白に関連するもの。

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